歴代理事長・学園長・学長・校長

歴代理事長

初代 理事⻑ 根津 嘉一郎(ねづ かいちろう 在任 1921.9-1940.1)

理事長 根津嘉一郎
創立者。1860年甲斐国山梨郡正徳寺村(現・山梨県山梨市)出身。山梨県会議員、衆議院議員等を経て、1905年東武鉄道社⻑。1908年日清製粉社⻑等、財界の指導者の一人として二十数種の事業経営に関わる。1921年財団法人根津育英会を設立し、七年制の武蔵高等学校を創設した。1926年貴族院議員に勅選される。 また、古美術の愛好収集家としても著名で、没後、その遺志を継いで日本、東洋を主とする収集品を公開するため根津美術館が設立された。1940年没。
  • 創立者 根津 嘉一郎
     
    (ねづ かいちろう 号・青山[せいざん])
    万延元(1860).6.15-昭和15(1940).1.4
     
    甲斐国山梨郡正徳寺村の根津嘉市郎(藤右衛門)の二男として出生、幼名は栄次郎。明治13年東京に出て漢学者馬杉雲外の門に入る。22年平等村村会議員。24年山梨県県会議員。26年有信貯蓄銀行設立。30年東京に分家し、一家を京橋区南鞘町に構える。32年東京電燈監査役。35年東京市街鉄道設立。37年衆議院議員に当選、以後4回当選。38年東武鉄道社長。39年東京鉄道取締役、館林製粉社長。41年日清製粉社長。42年啓成社設立、渡米実業団に加わる。43年富士身延鉄道設立、東京米穀商品取引所理事長、武蔵電気鉄道設立。44年東京商工会議所会頭、啓成社社長、東上鉄道を設立し社長、朝鮮煙草を設立し社長。45年高野山鉄道社長。大正6年日本工業倶楽部評議員・理事、高野大師鉄道を設立し社長。7年初陣の茶会を催す。8年日出セメントを設立し社長、東京紡績を設立し社長。9年東京地下鉄道を設立し取締役、根津合名会社を組織し代表社員。11年南海鉄道、西武鉄道、秩父鉄道各取締役。12年秩父セメントを設立し監査役、富国徴兵保険相互会社を設立し社長、太平生命保険、昭和火災を買収。郷里笛吹川に鉄筋コンクリート製の根津橋を架設す、山梨高等工業学校等の敷地寄付。14年松屋呉服店取締役。15年鉄道同志会会長、大社宮島鉄道を設立し社長、国民新聞社を株式組織とし160万円を投ずる、貴族院議員に勅選さる。昭和2年南朝鮮鉄道を設立し社長、東京地下鉄道取締役、後に社長。7年郷里平等村の根津橋畔万力公園に寿像が建てられる(戦時中に軍に供出、昭和35年に生誕百年を記念して、銅像が再建された)。8年山梨県下各小学校ヘピアノ、人体模型、顕微鏡、ミシンを寄付、ユニオンビールを経営し、エビスビールを合併。9年社会教化、思想善導のため埼玉県朝霞に大寺院を建立せんとして太梵鐘鋳造式を挙行する。その後戦争激化のため大仏の鋳造は中止のやむなきに至り、大梵鐘も後にこれを鋳潰して根津美術館より陸軍に供出。10年日本実業協会会長。14年7月親善使節として南米ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン各国を訪問し、10月帰国。明治から昭和にわたる財界の巨頭として、二十数種の事業に関係した。

    大正10年9月、財団法人根津育英会を設立し、360万円を寄付して武蔵高等学校を創設した。昭和15年1月に死去するまで根津育英会の理事長を務めた。

    また、若年の頃から古美術を愛好し、その収集を趣味とした。生前から、そのコレクションは著名であったが、没後の昭和15年11月25日「財団法人根津美術館」が設立され、青山の邸宅内にそのコレクションをもとに「根津美術館」が設立された。

2代 理事⻑ 根津 嘉一郎(2代)(ねづ かいちろう 在任 1940.1-1940.3)

根津 嘉一郎 二代目 理事長
1913年東京府出身。初代・根津嘉一郎の⻑男。旧制武蔵高等学校(5期)を経て、1936年東京帝国大学卒業。1940年東武鉄道に入社。初代・根津嘉一郎社⻑の秘書となり、1941〜1994年の53年間にわたり東武鉄道社⻑を務めた。1960年東武百貨店社⻑に就任、東武グループの事業拡大を推進した。また、「衆と共に楽しむ」という初代・根津嘉一郎の遺志を継ぎ、1940年に財団を設立。翌年に根津美術館を開館した。初代嘉一郎の急逝後2か月間、第2代理事長を務めた。後に、第4代、第8代の理事長に就任。2002年没。
  • 根津 嘉一郎(2代)

    (ねづ かいちろう)
    大正2(1913).9.29-平成14(2002).2.15

    1913年東京府出身。初代・根津嘉一郎の⻑男。旧制武蔵高等学校(5期)を経て、1936年東京帝国大学卒業。1940年東武鉄道に入社。初代・根津嘉一郎社⻑の秘書となり、1941〜1994年の53年間にわたり東武鉄道社⻑を務めた。1960年東武百貨店社⻑に就任、東武グループの事業拡大を推進した。また、「衆と共に楽しむ」という初代・根津嘉一郎の遺志を継ぎ、1940年に財団を設立。翌年に根津美術を開館した。初代嘉一郎の急逝後、2か月第2代間理事長を務めた。後に、第4代、第8代の理事長に就任。2002年没。

    初代・根津嘉一郎が急逝した直後、学校法人根津育英会理事長に2か月の間就任。1945年に改めて4代財団理事長に就任、1951年に学校法人根津育英会に変わる際に退任し同法人常務理事に就任。1964年副理事に就任、小林中理事長が在任中の死去により理事長に就任。19年間の長きにわたり本学の運営に力を注いだ。

3代 理事長 一木 喜徳郎(いっき きとくろう 在任 1940.3-1944.12)

初代 一木 喜徳郎
1867年静岡県出身。東京帝国大学卒業。1890年にドイツに留学し行政法を学ぶ。1894年同法科大学教授。1900年勅選貴族院議員。1902年法制局長となり、以後、1914年文部大臣、1917年枢密顧問官、臨時教育会議委員を歴任。1934年に枢密院議長。1921年より旧制武蔵高等学校初代校長を務める。1925年宮内大臣、1933年男爵、1934年内大臣。第一回入学式の祝辞で根津理事⻑は、「徳望一世に高く学識内外に捗りて博く諸君の模範として仰ぐべき」「一木先生を校⻑に戴くことを得た」ことこそ、「生徒諸君に向かって 最も祝福してやまざる所」であると述べている。法学者としては天皇機関説を唱え、美濃部達吉らを育てた。1944年没。
  • 一木 喜徳郎

    (いっき きとくろう 号・梁舟)
    慶応3(1867).4.4-昭和19(1944).12.17

    静岡県小笠郡倉真村岡田良一郎(淡山)の二男として出生。長兄は岡田良平。明治6年一木家の養子となる。16年東京帝国大学文学部入学。19年法科大学に編入。20年大学卒業、県治局勤務。23年内務書記官。自費独逸留学。26年帰国し復職。27年法科大学教授。32年法学博士。35年法制局長官兼恩給局長。39年帝国学士院会員。41年内務次官。大正3年文部大臣。4年内務大臣。6年枢密顧問官、臨時教育会議委員。8年臨時教育委員会副総裁。9年皇典講究所(國學院大学)所長。13年中央教化団体連合会会長。14年官内大臣(昭和8年まで)。昭和8年男爵。昭和9年大日本報徳社社長、枢密院議長。11年内大臣。
    大正10年-15年武蔵高等学校初代校長。昭和15年-19年根津育英会理事長。昭和17年-19年武蔵高等学校名誉校長。

4代 理事長 根津 嘉一郎(2代)(在任 1945.12-1951.5)

根津 嘉一郎 二代目 理事長
初代・根津嘉一郎が急逝した直後、理事長に2か月の間就任。1945年に改めて4代財団理事長に就任、1951年に学校法人根津育英会に変わる際に退任し同法人常務理事に就任。
  • 根津 嘉一郎(2代)

    (ねづ かいちろう)
    大正2(1913).9.29-平成14(2002).2.15

    1913年東京府出身。初代・根津嘉一郎の⻑男。旧制武蔵高等学校(5期)を経て、1936年東京帝国大学卒業。1940年東武鉄道に入社。初代・根津嘉一郎社⻑の秘書となり、1941〜1994年の53年間にわたり東武鉄道社⻑を務めた。1960年東武百貨店社⻑に就任、東武グループの事業拡大を推進した。また、「衆と共に楽しむ」という初代・根津嘉一郎の遺志を継ぎ、1940年に財団を設立。翌年に根津美術を開館した。初代嘉一郎の急逝後、2か月第2代間理事長を務めた。後に、第4代、第8代の理事長に就任。2002年没。

    初代・根津嘉一郎が急逝した直後、学校法人根津育英会理事長に2か月の間就任。1945年に改めて4代財団理事長に就任、1951年に学校法人根津育英会に変わる際に退任し同法人常務理事に就任。1964年副理事に就任、小林中理事長が在任中の死去により理事長に就任。19年間の長きにわたり本学の運営に力を注いだ。

5代 理事長 宮島 清次郎(みやじま せいじろう 在任 1951.5-1963.9)

宮島 清次郎
1879年栃木県出身。旧姓小林。東京帝国大学卒業。1919年日清紡績社⻑。1947年日本工業倶楽部理事⻑、1949年日本銀行政策委員。 戦後日本の財界に大きな影響力を与えた。本学では1921年の財団設立時から根津育英会理事を務め、根津嘉一郎の友人として正田貞一郎と共に武蔵高等学校の創設に尽力し、根津嘉一郎亡き後を継ぎ武蔵高等学校、戦後の武蔵大学の経営に携わった。1926年財団法人根津美術館理事。1959年根津美術館理事長。また1960年に私財を学園に寄付し(宮島基金)、これは今日でも学園基金の一つとなっている。1963年没。   
  • 宮島 清次郎

    (みやじま せいじろう)
    明治12(1879).1.20-昭和38(1963).9.6

    栃木県安蘇郡植野字飯田で小林庄太郎の二男として出生。明治35年第四高等学校卒業。35年東京帝国大学政治科人学、保証人は片山潜であった。またこの頃犬養木堂と知り合い、政治家を志すが、実業家になることを勧められる。39年同卒業、住友別子鉱業所入社。43年宮島家を継ぐ、東京紡績に入社、事務長、後に専務取締役。大正3年日清紡績専務取締役。6年加富登農麦酒監査役。7年工場進出のため中国視察。8年日清紡績社長。9年日本工業倶楽部理事、上海東亜製麻取締役、遠州織機監査役。10年南洋貿易監査役、日新染布監査役、英米訪問実業団に参加。11年東京市会議員。12年年東京紡績監査役。昭和8年日清レイヨン社長、大日本麦酒監査役、台南製麻取締役。13年国策パルプエ業社長。15年日清紡績会長。28年日本工業倶楽部専務理事。22年日本工業倶楽部理事長。24年日銀政策委員、朝日麦酒相談役。

    大正10年-昭和26年根津育英会理事。大正15年財団法人根津美術館理事。昭和26年-38年根津育英会理事長。34年根津美術館理事長。根津嘉一郎の友人として正田貞一郎と共に武蔵高等学校の創設に尽力し、根津嘉一郎亡き後を継ぎ武蔵高等学校、戦後の武蔵大学の経営に力を尽くした。また昭和35年に私財を学園に寄付し(宮島基金)、これは今日でも学園基金の一つとなっている。

6代 理事長 山本 爲三郎(やまもと ためさぶろう 在任 1963.9-1966.2)

山本 為三郎 理事長
1893年大阪出身。旧制中学校在学中に家業の山爲硝子(やまためがらす)製造所を継承。大日本⻨酒取締 役等を経て、1949年朝日⻨酒(現・アサヒビール)初代社⻑に就任。戦後、新大阪ホテルを発展 させ、大阪ロイヤル・ホテル(現・リーガロイヤルホテル大阪)を設立するなど、ホテル事業に従事。民藝運動への支援を行い、柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司らと親交があった。1966年没。

7代 理事長 小林 中(こばやし あたる 在任 1966.2-1981.10)

小林 中 理事長
1899年山梨出身。旧制甲府中学校卒業後、上京。1929年富国徴兵保険相互会社(現・富国生命保険)に入社し、根津嘉一郎の社⻑秘書を務め、1943年社⻑に就任。1951年吉田茂首相の要請により日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)初代総裁を務める。その後、アラビア石油社⻑や日本航空会⻑など多くの役職を歴任。1981年没。

8代 理事長 根津 嘉一郎(2代)(ねづ かいちろう 在任 1981.11-2000.5)

根津 嘉一郎 二代目 理事長
1964年学校法人根津育英会副理事に就任、小林中理事長が在任中の死去により理事長に就任。19年間の長きにわたり本学の運営に力を注いだ。「衆と共に楽しむ」とい う初代・根津嘉一郎の遺志を継ぎ、1940年に財団を設立。翌年に根津美術館を開館した。
  • 根津 嘉一郎(2代)

    (ねづ かいちろう)
    大正2(1913).9.29-平成14(2002).2.15

    1913年東京府出身。初代・根津嘉一郎の⻑男。旧制武蔵高等学校(5期)を経て、1936年東京帝国大学卒業。1940年東武鉄道に入社。初代・根津嘉一郎社⻑の秘書となり、1941〜1994年の53年間にわたり東武鉄道社⻑を務めた。1960年東武百貨店社⻑に就任、東武グループの事業拡大を推進した。また、「衆と共に楽しむ」という初代・根津嘉一郎の遺志を継ぎ、1940年に財団を設立。翌年に根津美術を開館した。初代嘉一郎の急逝後、2か月第2代間理事長を務めた。後に、第4代、第8代の理事長に就任。2002年没。

    初代・根津嘉一郎が急逝した直後、学校法人根津育英会理事長に2か月の間就任。1945年に改めて4代財団理事長に就任、1951年に学校法人根津育英会に変わる際に退任し同法人常務理事に就任。1964年副理事に就任、小林中理事長が在任中の死去により理事長に就任。19年間の長きにわたり本学の運営に力を注いだ。

9代 理事長 田中 郁三(たなか いくぞう 在任 2000.5-2006.3)

4代 学園長 田中 郁三
1926年東京府出身。旧制武蔵高等学校(17期)、東京帝国大学理学部卒業。1958年東京工業大学教授、1985年東京工業大学学⻑。光エネルギーと分子の相互作用を長年にわたり研究。光源としてレーザーを導入する手法を開発し新しい光工学を確立した。 1998年4月武蔵学園⻑、2000年5月兼学校法人根津育英会理事⻑。理学博士。2006年3月退任。2015年没。
  • 田中 郁三

    (たなか いくぞう)
    昭和元(1926).1.13-平成27(2015).2.16

    武蔵高等学校を経て、昭和22年 東京帝国大学理学部化学科卒業。29年 東京大学理学博士。33年東京工業大学教授、50年 東京工業大学理学部長、60年 東京工業大学学長。平成10年 学校法人根津育英会武蔵学園長、12年-18年 根津育英会理事長。平成17年 文化功労者に選ばれる。

10代 理事長 根津 公一(ねづ こういち 在任 2006.4-)

理事長 根津 公一
現理事長。1950年東京都生まれ。武蔵高等学校卒業(43期)、慶應義塾大学商学部卒業。株式会社東武百貨店名誉会長、公益財団法人根津美術館理事⻑・兼館⻑。初代根津嘉一郎は祖父、2代目根津嘉一郎は父。

歴代学園長

初代 学園長 正田 建次郎 (しょうだ けんじろう 在任 1975.4-1977.3)

7代 校長・初代学園長 正田 建次郎
1902年群馬県出身。父は初代根津嘉一郎の親友で財団法人根津育英会理事を務めた日清製粉創業者の正田貞一郎。美智子上皇后の伯父にあたる。第八高等学校を経て東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツ留学後、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究、大阪帝国大学教授、大阪大学理学部長、同総⻑を歴任。1965年4月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任、1975年4月より武蔵学園⻑(新設)。1969年文化勲章受賞。1977年没。
  • 正田 建次郎

    (しょうだ けんじろう)
    明治35(1902).2.25-昭和52(1977).3.20

    正田貞一郎の次男として群馬県館林で出生。東京府立第四中学校、第八高等学校を経て、大正14年東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツに留学、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究。昭和6年理学博士、8年大阪帝国大学理学部教授、24年大阪大学理学部長。24年学士院賞を授与され、28年日本学士院会員に選ばれる。29年大阪大学総長、35年大阪大学名誉教授、37年大阪大学基礎工学部長。40年武蔵大学学長、武蔵高等学校・中学校校長に就任。44年文化勲章受章。50年武蔵学園長に就任。美智子上皇后の伯父にあたる。

2代 学園長 太田 博太郎(おおた ひろたろう 在任 1978.4-1990.3)

2代 学園長 大田博太郎
1912年、東京府出身。旧制武蔵高等学校(4期)、東京帝国大学工学部卒業。東京大学教授、九州芸術工科大学学長等を経て、1978年4月武蔵学園⻑。(正田逝去後、太田就任までの一年間は武蔵大学学⻑・岡茂男が学園⻑事務取扱を務めた)。日本建築史の研究・教育に大きな功績を残した。また、法隆寺の修復、薬師寺の復元等、文化財の修理・保存にも尽力した。工学博士。2007年没。
  • 大田 博太郎

    (おおた ひろたろう)
    大正元(1912).11.5 -平成19(2007).1.19

    東京出身。武蔵高等学校を経て東京帝国大学工学部建築学科で建築史を専攻・卒業。昭和32年東京大学工学博士、35年東京大学教授に就任。48年退官後、 九州芸術工科大学学長。昭和53年学校法人根津育英会武蔵学園長。文化財建造物保存技術協会理事長などを歴任。平成9年日本学士院会員に選ばれる。

3代 学園長 植村 泰忠(うえむら やすただ 在任 1990.4-1998.3)

3代 学園長 植村 泰忠
1921年東京府出身。父は第3代経団連会長で、武蔵学園後援会会長を務めた植村甲午郎。旧制武蔵高等学校(13期)、東京帝国大学理学部卒業。東京大学教授、同理学部⻑、東京理科大学教授等を経て1990年4月、武蔵学園⻑。半導体の理論研究の第一人者として知られる。理学博士。2004年没。
  • 植村 泰忠

    (うえむら やすただ)
    大正10(1921).4.18-平成16(2004).11.28

    東京出身。経団連会長を務めた植村甲午郎の長男として生まれる。武蔵高等学校を経て、東京帝国大学理学部物理学科卒業。昭和38年東京大学理学部教授。理学博士。半導体の理論的研究をおこない、「強磁場下のMOS反転層における伝導現象の理論」で、58年本学士院受賞(安藤恒也と共同研究)。 平成2年学校法人根津育英会武蔵学園長、10年退任。

4代 学園長 田中 郁三(たなか いくぞう 在任 1998.4-2006.3)

4代 学園長 田中郁三
1926年東京府出身。旧制武蔵高等学校(17期)、東京帝国大学理学部卒業。1958年東京工業大学教授、1985年東京工業大学学⻑。光エネルギーと分子の相互作用を長年にわたり研究。光源としてレーザーを導入する手法を開発し新しい光工学を確立した。 1998年4月武蔵学園⻑、2000年5月より学校法人根津育英会理事⻑を兼務。2006年3月退任。理学博士。2015年没。
  • 田中 郁三

    (たなか いくぞう)
    昭和元(1926).1.13-平成27(2015).2.16

    武蔵高等学校を経て、昭和22年 東京帝国大学理学部化学科卒業。29年 東京大学理学博士。33年東京工業大学教授、50年 東京工業大学理学部長、60年 東京工業大学学長。平成10年 学校法人根津育英会武蔵学園長、12年-18年 根津育英会理事長。平成17年 文化功労者に選ばれる。

5代 学園長 有馬 朗人 (ありま あきと 在任 2006.4-2020.12)

5代 学園長 有馬 朗人
1930年大阪府出身。静岡県立浜松第一中学、旧制武蔵高等学校(22期)、東京帝国大学理学部卒。東京大学教授、ラトガーズ大学教授、ニューヨーク州立大学教授等を経て1989年東京大学総⻑。1993年理化学研究所理事⻑。1998年参議院議員となり文部大臣、科学技術庁長官を兼務。2006年4月武蔵学園⻑。専門は原子核物理学。理学博士。2010年に文化勲章受賞。俳人としても知られ、2018年「蛇笏賞」受賞。現職中の2020年12月没。
  • 有馬 朗人

    (ありま あきと)
    昭和5(1930).9.13 –令和2(2020).12.6

    大阪府出身。武蔵高等学校を経て、1953年東京大学理学部物理学科卒業。1958年東京大学理学博士、1975年東京大学教授、1989年東京大学総長。1993年理化学研究所理事長、日本学士院賞受賞、1995年中央教育審議会会長、1998年参議院議員・文部大臣、1999年科学技術庁長官。財団法人日本科学技術振興財団会長などを経て、2006年学校法人根津育英会武蔵学園長。2010年公立大学法人静岡文化芸術大学理事長。2010年文化勲章受章。
    山口青邨に師事して、加藤楸邨ら亡き後の日本を代表する俳人としても活躍。『天為』を創刊・主宰する。

6代 学園長 池田 康夫 (いけだ やすお 在任 2021.4-)

6代目池田学園長
1944年生まれ。東京都出身。武蔵高等学校卒業(36期)。慶應義塾大学医学部卒業。米国ブラウン大学留学、慶應義塾大学教授・同大学医学部長を経て、現在は同大学名誉教授。2013年より学校法人根津育英会武蔵学園 副理事長。2019年 昭和天皇記念学術賞受賞。2021年4月より武蔵学園長に就任。
 

歴代学長

初代 学長 宮本 和吉(みやもと わきち 在任 1949.4-1956.3)

5代 校長 宮本 和吉
1883年山形県出身。東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業。1923年から2年間、文部省在外研究員としてドイツに留学。ハイデルベルグ大学、フライブルグ大学で研究する。1927年京城帝国大学教授。同大学法文学部長を経て、1946年2月旧制武蔵高等学校校⻑に就任、新学制移行とともに武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任。1956年3月武蔵を退任。その後、 成城大学学⻑、同学園⻑を務める。カント研究の第一人者。文学博士。1972年没。
  • 宮本 和吉

    (みやもと わきち)
    明治16(1883).6.10-昭和47(1972).10.22

    山形県出生。明治42年東京帝国大学文科大学哲学科卒業。新潟高等学校教授を経て、大正12~14年文部省在外研究員としてドイツのハイデルベルク大学、フライブルク大学で研究。昭和2年京城帝国大学教授、その間法文学部長就任。12年文学博士(カント哲学に於ける意識と対象)。21年2月(旧制)武蔵高等学校校長に就任、新学制移行とともに武蔵大学学長、武蔵高等学校・中学校校長に就任。31年武蔵を退任。同年成城大学に招かれ文芸学部長、続いて学長、33年~36年成城学園長。

2代 学長 吉野 信次(よしの しんじ 在任 1956.4-1965.3)

6代 校長 吉野 信次
1888年宮城県出身。大正デモクラシーを主導した政治学者の吉野作造は実兄。古川中学、第一高等学校を経て東京帝国大学独法科卒業。農商務省、商工省等を経て、1937年商工大臣、1938年貴族院議員、1955年運輸大臣。1956年4月〜1965年3月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑。 1971年没。
  • 吉野 信次

    (よしの しんじ)
    明治21(1888).9.17-昭和46(1971).5.9

    吉野年蔵の三男として宮城県志田郡古川町で出生。第一高等学校を経て大正2年東京帝国大学法科大学独法科卒業、農商務省入省。昭和6年商工次官就任。11年東北興業株式会社総裁兼東北振興電力株式会社社長。12年商工大臣に就任。13年貴族院議員に勅選される。18年愛知県知事。28年宮城県から参議院議員に当選、30年運輸大臣就任。31年4月大臣在任のまま、武蔵大学学長、武蔵高等学校・中学校校長に就任。32年全国中小企業協同組合中央会会長。34年任期満了により参議院議員退職。昭和40年武蔵の名誉学長・校長となる。大正期に活躍した政治学者・思想家である吉野作造は長兄。

3代 学長 正田 建次郎(しょうだ けんじろう 在任 1965.4-1975.3)

7代 校長・初代学園長 正田 建次郎
1902年群馬県出身。父は初代根津嘉一郎の親友で財団法人根津育英会理事を務めた日清製粉創業者の正田貞一郎。美智子上皇后の叔父にあたる。第八高等学校を経て東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツ留学後、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究、大阪帝国大学教授、大阪大学理学部長、同総⻑を歴任。1965年4月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任、単学部だった武蔵大学に人文学部を設立し、文科系総合大学への礎を築くとともに、高中、大学の教学面での充実に貢献した。1975年4月より武蔵学園⻑(新設)。1969年文化勲章受賞。現職中の1977年没。
  • 正田 建次郎

    (しょうだ けんじろう)
    明治35(1902).2.25-昭和52(1977).3.20

    正田貞一郎の次男として群馬県館林で出生。東京府立第四中学校、第八高等学校を経て、大正14年東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツに留学、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究。昭和6年理学博士、8年大阪帝国大学理学部教授、24年大阪大学理学部長。24年学士院賞を授与され、28年日本学士院会員に選ばれる。29年大阪大学総長、35年大阪大学名誉教授、37年大阪大学基礎工学部長。40年武蔵大学学長、武蔵高等学校・中学校校長に就任。44年文化勲章受章。50年武蔵学園長に就任。美智子上皇后の伯父にあたる。

4代 学長 鈴木 武雄(すずき たけお 在任 1975.4-1975.12)

鈴木武雄 学長
1901年兵庫県出身。東京帝国大学法学部卒業。1935年京城帝国大学教授。戦後は明治大学、東京帝国大学で講師を経て、1948年新制武蔵高等学校講師。1949年武蔵大学教授・武蔵大学経済学部⻑。1957年東京大学 教授。1960年武蔵大学講師。1975年4月武蔵大学学⻑。同年12月死亡退任。初代経済学部長としてゼミナール制度、指導教授制度など、武蔵大学の礎を築いた。専攻は財政・金融論。経済学博士。1975年没。

5代 学長 岡 茂男(おか しげお 在任 1975.12-1984.2 うち、1976.2までは学⻑代行)

岡茂男 学長
大分県出身。1920年大分県出身。九州帝国大学経済学部卒業。九州大学助手を経て、1952年武蔵大学専任講師。1958年武蔵大学教授。1975年12月年武蔵大学学⻑代行。1976年2月武蔵大学学⻑。1984年退任。専攻は関税政策・商業政策。経済学博士。1992年没。

6代 学長 浅羽 二郎(あさば じろう 在任1984.2-1988.3)

浅羽 二郎 学長
1925年東京都出身。東京大学経済学部出身。1954年同志社大学講師。1956年同志社大学助教授。1959年武蔵大学助教授。1961年武蔵大学教授。1975年武蔵大学経済学部⻑。1984年2月武蔵大学学⻑。1988年3月退任。専攻は会計学。経済学博士。2008年没。

7代 学長 小原 広忠(おはら ひろただ 在任 1988.4.2-1992.3)

小原 広忠 学長
1930年東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。東京外国語大学第一部語学・文学専修課程卒業。東京大学大学院 人文科学研究科英語英米文学専門科修士課程修了。1968年白百合女子大学助教授。1969年武蔵大学助教授。1973年武蔵大学教授。1981年武蔵大学人文学部⻑。1988年4月武蔵大学学⻑。1992年3月退任。選考はアメリカ文学。文学修士。 2013年没。

8代 学長 桜井 毅(さくらい つよし 在任 1992.4-2000.3)

桜井 毅 学長
1931年東京都出身。武蔵高等学校(24期)、武蔵大学経済学部卒業(3回)。東京大学大学院社会科学研究科修士課程修了。東京大学大学院社会科 学研究科博士課程単位取得満期退学。1961年武蔵大学助手、1962年武蔵大学専任講師。1963年武蔵大学助教授。1968年武蔵大学教授。1984年武蔵大学経済学部⻑。1992年4月武蔵大学学⻑。2000年3月退任。専攻は経済学説史・理論経済学。経済学博士。

9代 学長 横倉 尚(よこくら たかし 在任 2000.4-2006.3)

横倉 尚 学長
1943年神奈川県出身。東京大学経済学部経済学科卒業。1966年通産省入省。1971年退官。1973年東京大学経済学部経営学科卒業。1975年慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了。1977年武蔵大学専任講師。1978年慶應義塾大学大学院経 済学研究科博士士課程単位取得満期退学。1979年武蔵大学助教授。1983年武蔵大学教授。1988年武蔵大学経済学部⻑。2000年4月武蔵大学学⻑。2006年3月退任。専攻はエネルギー・環境経済学。経済学修士。

10代 学長 平林 和幸(ひらばやし かずゆき 在任 2006.4-2010.3)

平林 和幸 学長
1948年東京都出身。武蔵大学人文学部卒業(21回)。武蔵大学大学院人文科学研究科修士課程修了。立教大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1983年武蔵大学専任講師。1986年武蔵大学助教授。1992年武蔵大学教授。2003年武蔵大学人文学部⻑。2006年4月武蔵大学学⻑。2010年3月退任。専攻はフランス近現代詩・ヨーロッパ美術。文学修士。2014年没。

11代 学長 清水 敦(しみず あつし 在任 2010.4-2014.3)

清水敦 学長
1952年東京都出身。東京大学経済学部経済学科卒業。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。信州大学講師を経て、1993年武蔵大学助教授。1998年武蔵大学経済学部教授。2007年武蔵大学経済学部⻑。2010年4月武蔵大学学⻑。2014年3月退任。専攻は経済学史・経済理論。経済学博士。

12代 学長 山㟢 哲哉(やまさき てつや 在任 2014.4- 2021.3)

山嵜哲哉 学長
1957年山口県出身。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程前期修了。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程後期単位取得満期退学。1991年武蔵大学専任講師。1993年武蔵大学助教授。2000年武蔵大学教授。2007年武蔵大学社会学部⻑。2014年4月武蔵大学学⻑。2018年4月再 任。専攻は生活意識論、ジェンダー論、若者文化論。社会学修士。

13代 学長 高橋 徳行(たかはし のりゆき 在任 2022.4- )

高橋 徳行 学長
1956年北海道出身。慶應義塾大学経済学部卒業。バブソン大学経営学修士課程修了(MBA)。国民生活金融公庫(現 日本政策金融公庫)総合研究所主席研究員。2003年武蔵大学経済学部経営学科教授。2015年武蔵大学経済学部長。2017年武蔵大学副学長。2022年4月武蔵大学学長。専攻はアントレプレナーシップ。経営学修士。

歴代校長

初代 校長 一木 喜徳郎(いっき きとくろう 在任 1921.12-1926.4)

初代 一木 喜徳郎
1867年静岡県出身。長兄は京都帝国大学総長、文部大臣を歴任し、根津育英会顧問も務めた岡田良平。東京帝国大学卒業。1894年同法科大学教授、1914年文部大臣、1917年臨時教育会議委員、1925年宮内大臣、1933年男爵、 1934年内大臣。第一回入学式の祝辞で根津理事⻑は、「徳望一世に高く学識内外に捗りて博く諸君の模範として仰ぐべき」「一木先生を校⻑に戴くことを得た」ことこそ、「生徒諸君に向かって 最も祝福してやまざる所」であると述べている。法学博士。1944年没。
  • 一木 喜徳郎

    (いっき きとくろう 号・梁舟)
    慶応3(1867).4.4-昭和19(1944).12.17

    静岡県小笠郡倉真村岡田良一郎(淡山)の二男として出生。長兄は岡田良平。明治6年一木家の養子となる。16年東京帝国大学文学部入学。19年法科大学に編入。20年大学卒業、県治局勤務。23年内務書記官。自費独逸留学。26年帰国し復職。27年法科大学教授。32年法学博士。35年法制局長官兼恩給局長。39年帝国学士院会員。41年内務次官。大正3年文部大臣。4年内務大臣。6年枢密顧問官、臨時教育会議委員。8年臨時教育委員会副総裁。9年皇典講究所(國學院大学)所長。13年中央教化団体連合会会長。14年官内大臣(昭和8年まで)。昭和8年男爵。昭和9年大日本報徳社社長、枢密院議長。11年内大臣。
    大正10年-15年武蔵高等学校初代校長。昭和15年-19年根津育英会理事長。昭和17年-19年武蔵高等学校名誉校長。

2代 校長 山川 健次郎(やまかわ けんじろう 在任 1926.4-1931.3)

2代 山川 健次郎
1854年会津藩若松出身。戊辰戦争後、東京の斗南藩学で英学を学び、17歳で米国エール大学に留学し土木工学を専攻し卒業。1881年東京帝国大学教授、1901年同大学総⻑、1904年貴族院議員。九州帝国大学総⻑、京都帝国大学総⻑を歴任し、1915年男爵。1917年臨時教育会議委員、1923年枢密顧問官。「古武士のような」とか「最後の武人」等と呼ばれることも多かったが、東京帝国大学理学部物理学科の基礎を築く等、科学者として冷静な合理主義者であり、これをもって、白⻁隊生き残りの会津武士と、海外で開眼した合理精神に満ちた自然科学者とがある意味同居していたとも評される。 武蔵高等学校の生徒による優れた自然科学系研究に贈られる山川賞にその名を残す。理学博士。1931年没。
  • 山川 健次郎

    (やまかわ けんじろう)
    安政元(1854).7.17-昭和6(1931).6.26

    会津若松の山川重固の三男として出生。明治3年東京の斗南藩学にて英学を学ぶ、4年米国に留学、エール大学で土木工学を専攻して卒業。8年帰国。9年東京開成学校の物理学教授補。14年東京帝国大学教授、我が国初めての物理学教授となる。19年理科大学教授。21年理学博士。30年高等教育会議議員。34年東京学士会院(後の帝国学士院)会員、東京帝国大学総長。36年東京帝国大学名誉教授。37年貴族院議員に勅選さる。40年私立明治専門学校(現九州工業大学)総裁。44年九州帝国大学総長。大正2年東京帝国大学総長再任(大正9年まで)。3年兼任京都帝国大学総長。4年男爵。5年学習院評議会会員。6年臨時教育会議委員、財団法人理化学研究所顧問。12年枢密顧問官。14年中央教化団体連合会会長。著述多数あり。

    大正10年-昭和6年根津育英会顧問。大正15年4月-昭和6年武蔵高等学校第二代校長。

3代 校長 山本 良吉(やまもと りょうきち 在任 1931.3-1942.7 うち、1936.2までは校⻑事務取扱)

3代 山本 良吉
1871年石川県出身。東京帝国大学文科大哲学科選科修了。京都府立第二中学校教頭、第三高等学校教授、学習院教授を経て、 1922年武蔵高等学校教授兼教頭。開校時から一木、山川両校⻑の下で教頭を務め、次いで第3代校⻑として 通算20年余、独自の信念をもって武蔵高等学校の「創生」に努めた。多筆かつ健筆で論客として知られ、著書は「中等教養」「国⺠の教養」等27冊に上る。同郷の哲学者、西田幾多郎、禅学者、鈴木大拙とは生涯に渡る親友だった。武蔵高等学校の生徒による優れた文科系研究に贈られる山本賞にその名を残す。1942年没。
  • 山本 良吉

    (やまもと りょうきち 号・晁水[ちょうすい])
    明治4(1871).10.10-昭和17(1942).7.12

    石川県金沢鶴間谷、金田清三郎の三男として出生。石川県専門学校、後の第四高等中学に入学、明治22年同退学。25年帝国大学法科大学政治学科選科入学、文科大学哲学科選科に転科し28年修了。27年山本家の養子となる。28年京都府立尋常中学校、30年静県尋常中学校教諭を歴任、この間に『倫理学史』を発刊。33年新設の京都府立第二中学校教頭。

    41年京都帝国大学学生監、兼第三高等学校教授(倫理学)。大正6年『大正中等修身』を発刊。7年北條時敬学習院長に招かれ学習院教授、寮長。9年学習院教授を辞任、文部省より欧米学生生活状況調査の嘱託を受けて1年間欧米視察。11年1月新設される武蔵高等学校教頭に就任。昭和11年武蔵高等学校校長。

4代 校長 山川 黙(やまかわ しずか 在任 1942.7-1946.2 うち、1942.8までは校⻑事務取扱)

4代 山川 黙(しずか)
1886年東京府出身。府立第一中学、第一高等学校、東京帝国大学理科大学卒業。慶應義塾大学予科教授等を経て、1924年武蔵高等学校専任講師、1925年武蔵高等学校教授。在任中、高山植物図鑑等を記し、生徒の教養に資した。また、1943年、二代、三代両校⻑の名をつけた山川賞、山本賞の制度を制定した。日本山岳会の創始者七人名の一人で、同会の機関紙「山岳」の初期のものには旧姓の河田名で多くの寄稿が見られる。 前校長山本良吉の急逝の後、戦争期の困難な時期の武蔵を支えた。1966年没。
  • 山川 黙

    (やまかわ しずか)
    明治19(1886).7.26-昭和41(1966).2.11

    河田烋の二男として東京で出生。明治37年東京府立第一中学校卒業、在学中に後に日本山岳会となる日本博物同志会に加わる。明治41年山川操(元権掌侍・山川健次郎武蔵高等学校第二代校長の令姉)の養子となる。第一高等学校を経て大正2年東京帝国大学理科大学植物学科卒業。京北中学校教諭、慶應義塾大学予科教授を経て、大正13年武蔵高等学校専任講師、大正14年武蔵高等学校教授。昭和17年4月武蔵高等学校教頭、同7月校長。21年2月退任。

5代 校長 宮本 和吉(みやもと わきち 在任 1946.2-1956.3)

5代 校長 宮本 和吉
1883年山形県出身。東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業。1923年から2年間、文部省在外研究員としてドイツに留学。ハイデルベルグ大学、フライブルグ大学で研究する。1927年京城帝国大学教授。同大学法文学部長を経て、1946年2月旧制武蔵高等学校校⻑に就任、新学制とともに武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任。1956年3月武蔵を退任。その後、 成城大学学⻑、同学園⻑を務める。カント研究の第一人者。文学博士。1972年没。
  • 宮本 和吉

    (みやもと わきち)
    明治16(1883).6.10-昭和47(1972).10.22

    山形県出生。明治42年東京帝国大学文科大学哲学科卒業。新潟高等学校教授を経て、大正12~14年文部省在外研究員としてドイツのハイデルベルク大学、フライブルク大学で研究。昭和2年京城帝国大学教授、その間法文学部長就任。12年文学博士(カント哲学に於ける意識と対象)。21年2月(旧制)武蔵高等学校校長に就任、新学制移行とともに武蔵大学学長、武蔵高等学校・中学校校長に就任。31年武蔵を退任。同年成城大学に招かれ文芸学部長、続いて学長、33年~36年成城学園長。

6代 校長 吉野 信次( よしの しんじ 在任 1956.4-1965.3)

6代 校長 吉野 信次
1888年宮城県出身。大正デモクラシーを主導した政治学者の吉野作造は実兄。古川中学、第一高等学校を経て東京帝国大学独法科卒業。農商務省、商工省等を経て、1937年商工大臣、1938年貴族院議員、1955年運輸大臣。1956年4月〜1965年3月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑。1971年没。
  • 吉野 信次

    (よしの しんじ)
    明治21(1888).9.17-昭和46(1971).5.9

    吉野年蔵の三男として宮城県志田郡古川町で出生。第一高等学校を経て大正2年東京帝国大学法科大学独法科卒業、農商務省入省。昭和6年商工次官就任。11年東北興業株式会社総裁兼東北振興電力株式会社社長。12年商工大臣に就任。13年貴族院議員に勅選される。18年愛知県知事。28年宮城県から参議院議員に当選、30年運輸大臣就任。31年4月大臣在任のまま、武蔵大学学長、武蔵高等学校・中学校校長に就任。32年全国中小企業協同組合中央会会長。34年任期満了により参議院議員退職。昭和40年武蔵の名誉学長・校長となる。大正期に活躍した政治学者・思想家である吉野作造は長兄。

7代 校長 正田 建次郎(しょうだ けんじろう 在任 1965.4-1975.3)

7代 校長・初代学園長 正田 建次郎
1902年群馬県出身。父は初代根津嘉一郎の親友で財団法人根津育英会理事を務めた日清製粉創業者の正田貞一郎。美智子上皇后の叔父にあたる。第八高等学校を経て東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツ留学後、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究、大阪帝国大学教授、大阪大学理学部長、同学⻑を歴任。1965年4月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任、単学部だった武蔵大学に人文学部を設立し、文科系総合大学への礎を築くとともに、高中、大学の教学面での充実に貢献した。1969年文化勲章受賞。1975年4月より武蔵学園⻑(新設)。現職中の1977年没。
  • 正田 建次郎

    (しょうだ けんじろう)
    明治35(1902).2.25-昭和52(1977).3.20

    正田貞一郎の次男として群馬県館林で出生。東京府立第四中学校、第八高等学校を経て、大正14年東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツに留学、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究。昭和6年理学博士、8年大阪帝国大学理学部教授、24年大阪大学理学部長。24年学士院賞を授与され、28年日本学士院会員に選ばれる。29年大阪大学総長、35年大阪大学名誉教授、37年大阪大学基礎工学部長。40年武蔵大学学長、武蔵高等学校・中学校校長に就任。44年文化勲章受章。50年武蔵学園長に就任。美智子上皇后の伯父にあたる。

8代 校長 大坪 秀二(おおつぼ ひでじ 在任 1975.4-1987.3)

大坪 秀二 校長
1924年東京府出身。旧制武蔵高等学校卒業(16期)。東京帝国大学理学部物理学科卒業。東京帝国大学大学院理学 研究科修士課程修了。昭和医科大学予科教授を経て、1950年武蔵高等学校中学校教諭。1953年より1967 年まで武蔵大学助教授兼任。1967年武蔵高等学校中学校教頭。1975年4月武蔵高等学校中学校校⻑。1987 年3月退任。1990年武蔵高等学校中学校教諭退職。以後、1996年3月まで講師として教壇に立った。講師退職後は武蔵学園記念室名誉顧問として学園史関連資料の整理、分析に尽力した。理学修士。2015年没。

9代 校長 小林 奎二(こばやし けいじ 在任 1987.4-1991.3)

小林 奎二 校長
1928年東京都出身。旧制武蔵高等学校修了(23期)。東京大学工学部卒業。東京大学大学院工学研究科修士課程修了。 1955年4月武蔵高等学校中学校専任講師、1955年10月武蔵高等学校中学校教諭。1956年より1987年まで武蔵大学講師・助教授・教授を兼任。1987年4月武蔵高等学校中学校校⻑。1991年3月退任。1994年武蔵高等学校中学校教諭退職。以後、1999年まで武蔵高等学校中学校講師、武蔵大学講師として教壇に立つ。 工学修士。

10代 校長 矢崎 三夫(やざき みつお 在任 1991.4-1997.3)

矢崎 三夫 校長
1932年東京都出身。武蔵高等学校卒業(31期)。東京外国語大学卒業。1961年武蔵高等学校中学校専任講師。1962年武蔵高等学校中学校教諭。1987年武蔵高等学校中学校教頭。1991年4月武蔵高等学校中学校校⻑。1997年3月退任。1998年武蔵高等学校中学校教諭退職。以後も講師として教壇に立つ。2020年3月没。

11代 校長 福田 泰二(ふくだ やすじ 在任 1997.4-2005.3)

福田泰二 校長
1937年東京都出身。武蔵高等学校卒業(30期)。東京大学理学部生物学科卒業。東京大学大学院生物系研究科植物学専門課程修士課程修了。東京大学大学院理学系研究科植物学専門課程博士課程単位取得満期退学。1975 年千葉大学教養部助教授。1988年千葉大学教養部教授。1994年千葉大学園芸学部教授。1997年4月武蔵高等学校中学校校⻑。2005年3月退任。以後、武蔵高等学校中学校非常勤講師を2008年まで務める。2008年 4月より武蔵学園記念室名誉顧問。理学博士。

12代 校長 山崎 元男(やまざき もとお  在任 2005.4-2010.9)

山崎 元男 校長
埼玉県出身。東北大学理学部物理学系学科から早稲田大学第二文学部日本文学科に編入し卒業。早稲田大学大学学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期課程修了。早稲田大学大学学院文学研究科日本文学専攻博士 課程後期課程単位取得満期退学。埼玉県立豊岡高等学校定時制非常勤講師を経て、1978年武蔵高等学校中学校教諭。2005年4月武蔵高等学校中学校校⻑。2010年9月退任。 2017年4月より2021年3月まで山脇学園高等学校中学校校長。

13代 校長 梶取 弘昌(かじとり ひろまさ 在任 2010.5-2019.3 うち、2011.3までは校⻑代行)

梶取 弘昌 校長
1952年東京都出身。武蔵高等学校中学校卒業(45期)。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1977年武蔵高等学校中学校講師。1988年武蔵高等学校中学校教諭。2005年武蔵高等学校中学教頭。2011年4月武蔵高等学校中学校校⻑。専門はドイツリート。

14代 校長 杉山 剛士(すぎやま たけし 在任 2019.4- )

杉山 剛士 校長
1957年東京都出身。武蔵高等学校中学校卒業(50期)。東京大学教育学部教育学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。専攻は教育社会学。埼玉県教育局文教政策室長、埼玉県立熊谷西高等学校長、埼玉県教育局高校教育指導課長、埼玉県立浦和高等学校長を経て、2019年4月より武蔵高等学校中学校校長に就任。