歴代理事長・学園長・学長・校長
歴代理事長
初代 理事⻑ 根津 嘉一郎(ねづ かいちろう 在任 1921.9-1940.1)
創立者。1860年甲斐国山梨郡正徳寺村(現・山梨県山梨市)出身。山梨県会議員、衆議院議員等を経て、1905年東武鉄道社⻑。1908年日清製粉社⻑等、財界の指導者の一人として二十数種の事業経営に関わる。1921年財団法人根津育英会を設立し、七年制の武蔵高等学校を創設した。1926年貴族院議員に勅選される。 また、古美術の愛好収集家としても著名で、没後、その遺志を継いで日本、東洋を主とする収集品を公開するため根津美術館が設立された。1940年没。
2代 理事⻑ 根津 嘉一郎(2代)(ねづ かいちろう 在任 1940.1-1940.3)
1913年東京府出身。初代・根津嘉一郎の⻑男。旧制武蔵高等学校(5期)を経て、1936年東京帝国大学卒業。1940年東武鉄道に入社。初代・根津嘉一郎社⻑の秘書となり、1941〜1994年の53年間にわたり東武鉄道社⻑を務めた。1960年東武百貨店社⻑に就任、東武グループの事業拡大を推進した。また、「衆と共に楽しむ」という初代・根津嘉一郎の遺志を継ぎ、1940年に財団を設立。翌年に根津美術館を開館した。初代嘉一郎の急逝後2か月間、第2代理事長を務めた。後に、第4代、第8代の理事長に就任。2002年没。
3代 理事長 一木 喜徳郎(いっき きとくろう 在任 1940.3-1944.12)
1867年静岡県出身。東京帝国大学卒業。1890年にドイツに留学し行政法を学ぶ。1894年同法科大学教授。1900年勅選貴族院議員。1902年法制局長となり、以後、1914年文部大臣、1917年枢密顧問官、臨時教育会議委員を歴任。1934年に枢密院議長。1921年より旧制武蔵高等学校初代校長を務める。1925年宮内大臣、1933年男爵、1934年内大臣。第一回入学式の祝辞で根津理事⻑は、「徳望一世に高く学識内外に捗りて博く諸君の模範として仰ぐべき」「一木先生を校⻑に戴くことを得た」ことこそ、「生徒諸君に向かって 最も祝福してやまざる所」であると述べている。法学者としては天皇機関説を唱え、美濃部達吉らを育てた。1944年没。
4代 理事長 根津 嘉一郎(2代)(在任 1945.12-1951.5)
初代・根津嘉一郎が急逝した直後、理事長に2か月の間就任。1945年に改めて4代財団理事長に就任、1951年に学校法人根津育英会に変わる際に退任し同法人常務理事に就任。
5代 理事長 宮島 清次郎(みやじま せいじろう 在任 1951.5-1963.9)
1879年栃木県出身。旧姓小林。東京帝国大学卒業。1919年日清紡績社⻑。1947年日本工業倶楽部理事⻑、1949年日本銀行政策委員。 戦後日本の財界に大きな影響力を与えた。本学では1921年の財団設立時から根津育英会理事を務め、根津嘉一郎の友人として正田貞一郎と共に武蔵高等学校の創設に尽力し、根津嘉一郎亡き後を継ぎ武蔵高等学校、戦後の武蔵大学の経営に携わった。1926年財団法人根津美術館理事。1959年根津美術館理事長。また1960年に私財を学園に寄付し(宮島基金)、これは今日でも学園基金の一つとなっている。1963年没。
6代 理事長 山本 爲三郎(やまもと ためさぶろう 在任 1963.9-1966.2)
1893年大阪出身。旧制中学校在学中に家業の山爲硝子(やまためがらす)製造所を継承。大日本⻨酒取締 役等を経て、1949年朝日⻨酒(現・アサヒビール)初代社⻑に就任。戦後、新大阪ホテルを発展 させ、大阪ロイヤル・ホテル(現・リーガロイヤルホテル大阪)を設立するなど、ホテル事業に従事。民藝運動への支援を行い、柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司らと親交があった。1966年没。
7代 理事長 小林 中(こばやし あたる 在任 1966.2-1981.10)
1899年山梨出身。旧制甲府中学校卒業後、上京。1929年富国徴兵保険相互会社(現・富国生命保険)に入社し、根津嘉一郎の社⻑秘書を務め、1943年社⻑に就任。1951年吉田茂首相の要請により日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)初代総裁を務める。その後、アラビア石油社⻑や日本航空会⻑など多くの役職を歴任。1981年没。
8代 理事長 根津 嘉一郎(2代)(ねづ かいちろう 在任 1981.11-2000.5)
1964年学校法人根津育英会副理事に就任、小林中理事長が在任中の死去により理事長に就任。19年間の長きにわたり本学の運営に力を注いだ。「衆と共に楽しむ」とい う初代・根津嘉一郎の遺志を継ぎ、1940年に財団を設立。翌年に根津美術館を開館した。
9代 理事長 田中 郁三(たなか いくぞう 在任 2000.5-2006.3)
1926年東京府出身。旧制武蔵高等学校(17期)、東京帝国大学理学部卒業。1958年東京工業大学教授、1985年東京工業大学学⻑。光エネルギーと分子の相互作用を長年にわたり研究。光源としてレーザーを導入する手法を開発し新しい光工学を確立した。 1998年4月武蔵学園⻑、2000年5月兼学校法人根津育英会理事⻑。理学博士。2006年3月退任。2015年没。
10代 理事長 根津 公一(ねづ こういち 在任 2006.4-)
現理事長。1950年東京都生まれ。武蔵高等学校卒業(43期)、慶應義塾大学商学部卒業。株式会社東武百貨店名誉会長、公益財団法人根津美術館理事⻑・兼館⻑。初代根津嘉一郎は祖父、2代目根津嘉一郎は父。
歴代学園長
初代 学園長 正田 建次郎 (しょうだ けんじろう 在任 1975.4-1977.3)
1902年群馬県出身。父は初代根津嘉一郎の親友で財団法人根津育英会理事を務めた日清製粉創業者の正田貞一郎。美智子上皇后の伯父にあたる。第八高等学校を経て東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツ留学後、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究、大阪帝国大学教授、大阪大学理学部長、同総⻑を歴任。1965年4月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任、1975年4月より武蔵学園⻑(新設)。1969年文化勲章受賞。1977年没。
2代 学園長 太田 博太郎(おおた ひろたろう 在任 1978.4-1990.3)
1912年、東京府出身。旧制武蔵高等学校(4期)、東京帝国大学工学部卒業。東京大学教授、九州芸術工科大学学長等を経て、1978年4月武蔵学園⻑。(正田逝去後、太田就任までの一年間は武蔵大学学⻑・岡茂男が学園⻑事務取扱を務めた)。日本建築史の研究・教育に大きな功績を残した。また、法隆寺の修復、薬師寺の復元等、文化財の修理・保存にも尽力した。工学博士。2007年没。
3代 学園長 植村 泰忠(うえむら やすただ 在任 1990.4-1998.3)
1921年東京府出身。父は第3代経団連会長で、武蔵学園後援会会長を務めた植村甲午郎。旧制武蔵高等学校(13期)、東京帝国大学理学部卒業。東京大学教授、同理学部⻑、東京理科大学教授等を経て1990年4月、武蔵学園⻑。半導体の理論研究の第一人者として知られる。理学博士。2004年没。
4代 学園長 田中 郁三(たなか いくぞう 在任 1998.4-2006.3)
1926年東京府出身。旧制武蔵高等学校(17期)、東京帝国大学理学部卒業。1958年東京工業大学教授、1985年東京工業大学学⻑。光エネルギーと分子の相互作用を長年にわたり研究。光源としてレーザーを導入する手法を開発し新しい光工学を確立した。 1998年4月武蔵学園⻑、2000年5月より学校法人根津育英会理事⻑を兼務。2006年3月退任。理学博士。2015年没。
5代 学園長 有馬 朗人 (ありま あきと 在任 2006.4-2020.12)
1930年大阪府出身。静岡県立浜松第一中学、旧制武蔵高等学校(22期)、東京帝国大学理学部卒。東京大学教授、ラトガーズ大学教授、ニューヨーク州立大学教授等を経て1989年東京大学総⻑。1993年理化学研究所理事⻑。1998年参議院議員となり文部大臣、科学技術庁長官を兼務。2006年4月武蔵学園⻑。専門は原子核物理学。理学博士。2010年に文化勲章受賞。俳人としても知られ、2018年「蛇笏賞」受賞。現職中の2020年12月没。
6代 学園長 池田 康夫 (いけだ やすお 在任 2021.4-)
1944年生まれ。東京都出身。武蔵高等学校卒業(36期)。慶應義塾大学医学部卒業。米国ブラウン大学留学、慶應義塾大学教授・同大学医学部長を経て、現在は同大学名誉教授。2013年より学校法人根津育英会武蔵学園 副理事長。2019年 昭和天皇記念学術賞受賞。2021年4月より武蔵学園長に就任。
歴代学長
初代 学長 宮本 和吉(みやもと わきち 在任 1949.4-1956.3)
1883年山形県出身。東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業。1923年から2年間、文部省在外研究員としてドイツに留学。ハイデルベルグ大学、フライブルグ大学で研究する。1927年京城帝国大学教授。同大学法文学部長を経て、1946年2月旧制武蔵高等学校校⻑に就任、新学制移行とともに武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任。1956年3月武蔵を退任。その後、 成城大学学⻑、同学園⻑を務める。カント研究の第一人者。文学博士。1972年没。
2代 学長 吉野 信次(よしの しんじ 在任 1956.4-1965.3)
1888年宮城県出身。大正デモクラシーを主導した政治学者の吉野作造は実兄。古川中学、第一高等学校を経て東京帝国大学独法科卒業。農商務省、商工省等を経て、1937年商工大臣、1938年貴族院議員、1955年運輸大臣。1956年4月〜1965年3月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑。 1971年没。
3代 学長 正田 建次郎(しょうだ けんじろう 在任 1965.4-1975.3)
1902年群馬県出身。父は初代根津嘉一郎の親友で財団法人根津育英会理事を務めた日清製粉創業者の正田貞一郎。美智子上皇后の叔父にあたる。第八高等学校を経て東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツ留学後、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究、大阪帝国大学教授、大阪大学理学部長、同総⻑を歴任。1965年4月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任、単学部だった武蔵大学に人文学部を設立し、文科系総合大学への礎を築くとともに、高中、大学の教学面での充実に貢献した。1975年4月より武蔵学園⻑(新設)。1969年文化勲章受賞。現職中の1977年没。
4代 学長 鈴木 武雄(すずき たけお 在任 1975.4-1975.12)
1901年兵庫県出身。東京帝国大学法学部卒業。1935年京城帝国大学教授。戦後は明治大学、東京帝国大学で講師を経て、1948年新制武蔵高等学校講師。1949年武蔵大学教授・武蔵大学経済学部⻑。1957年東京大学 教授。1960年武蔵大学講師。1975年4月武蔵大学学⻑。同年12月死亡退任。初代経済学部長としてゼミナール制度、指導教授制度など、武蔵大学の礎を築いた。専攻は財政・金融論。経済学博士。1975年没。
5代 学長 岡 茂男(おか しげお 在任 1975.12-1984.2 うち、1976.2までは学⻑代行)
大分県出身。1920年大分県出身。九州帝国大学経済学部卒業。九州大学助手を経て、1952年武蔵大学専任講師。1958年武蔵大学教授。1975年12月年武蔵大学学⻑代行。1976年2月武蔵大学学⻑。1984年退任。専攻は関税政策・商業政策。経済学博士。1992年没。
6代 学長 浅羽 二郎(あさば じろう 在任1984.2-1988.3)
1925年東京都出身。東京大学経済学部出身。1954年同志社大学講師。1956年同志社大学助教授。1959年武蔵大学助教授。1961年武蔵大学教授。1975年武蔵大学経済学部⻑。1984年2月武蔵大学学⻑。1988年3月退任。専攻は会計学。経済学博士。2008年没。
7代 学長 小原 広忠(おはら ひろただ 在任 1988.4.2-1992.3)
1930年東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。東京外国語大学第一部語学・文学専修課程卒業。東京大学大学院 人文科学研究科英語英米文学専門科修士課程修了。1968年白百合女子大学助教授。1969年武蔵大学助教授。1973年武蔵大学教授。1981年武蔵大学人文学部⻑。1988年4月武蔵大学学⻑。1992年3月退任。選考はアメリカ文学。文学修士。 2013年没。
8代 学長 桜井 毅(さくらい つよし 在任 1992.4-2000.3)
1931年東京都出身。武蔵高等学校(24期)、武蔵大学経済学部卒業(3回)。東京大学大学院社会科学研究科修士課程修了。東京大学大学院社会科 学研究科博士課程単位取得満期退学。1961年武蔵大学助手、1962年武蔵大学専任講師。1963年武蔵大学助教授。1968年武蔵大学教授。1984年武蔵大学経済学部⻑。1992年4月武蔵大学学⻑。2000年3月退任。専攻は経済学説史・理論経済学。経済学博士。
9代 学長 横倉 尚(よこくら たかし 在任 2000.4-2006.3)
1943年神奈川県出身。東京大学経済学部経済学科卒業。1966年通産省入省。1971年退官。1973年東京大学経済学部経営学科卒業。1975年慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了。1977年武蔵大学専任講師。1978年慶應義塾大学大学院経 済学研究科博士士課程単位取得満期退学。1979年武蔵大学助教授。1983年武蔵大学教授。1988年武蔵大学経済学部⻑。2000年4月武蔵大学学⻑。2006年3月退任。専攻はエネルギー・環境経済学。経済学修士。
10代 学長 平林 和幸(ひらばやし かずゆき 在任 2006.4-2010.3)
1948年東京都出身。武蔵大学人文学部卒業(21回)。武蔵大学大学院人文科学研究科修士課程修了。立教大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1983年武蔵大学専任講師。1986年武蔵大学助教授。1992年武蔵大学教授。2003年武蔵大学人文学部⻑。2006年4月武蔵大学学⻑。2010年3月退任。専攻はフランス近現代詩・ヨーロッパ美術。文学修士。2014年没。
11代 学長 清水 敦(しみず あつし 在任 2010.4-2014.3)
1952年東京都出身。東京大学経済学部経済学科卒業。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。信州大学講師を経て、1993年武蔵大学助教授。1998年武蔵大学経済学部教授。2007年武蔵大学経済学部⻑。2010年4月武蔵大学学⻑。2014年3月退任。専攻は経済学史・経済理論。経済学博士。
12代 学長 山㟢 哲哉(やまさき てつや 在任 2014.4- 2021.3)
1957年山口県出身。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程前期修了。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程後期単位取得満期退学。1991年武蔵大学専任講師。1993年武蔵大学助教授。2000年武蔵大学教授。2007年武蔵大学社会学部⻑。2014年4月武蔵大学学⻑。2018年4月再 任。専攻は生活意識論、ジェンダー論、若者文化論。社会学修士。
13代 学長 高橋 徳行(たかはし のりゆき 在任 2022.4- )
1956年北海道出身。慶應義塾大学経済学部卒業。バブソン大学経営学修士課程修了(MBA)。国民生活金融公庫(現 日本政策金融公庫)総合研究所主席研究員。2003年武蔵大学経済学部経営学科教授。2015年武蔵大学経済学部長。2017年武蔵大学副学長。2022年4月武蔵大学学長。専攻はアントレプレナーシップ。経営学修士。
歴代校長
初代 校長 一木 喜徳郎(いっき きとくろう 在任 1921.12-1926.4)
1867年静岡県出身。長兄は京都帝国大学総長、文部大臣を歴任し、根津育英会顧問も務めた岡田良平。東京帝国大学卒業。1894年同法科大学教授、1914年文部大臣、1917年臨時教育会議委員、1925年宮内大臣、1933年男爵、 1934年内大臣。第一回入学式の祝辞で根津理事⻑は、「徳望一世に高く学識内外に捗りて博く諸君の模範として仰ぐべき」「一木先生を校⻑に戴くことを得た」ことこそ、「生徒諸君に向かって 最も祝福してやまざる所」であると述べている。法学博士。1944年没。
2代 校長 山川 健次郎(やまかわ けんじろう 在任 1926.4-1931.3)
1854年会津藩若松出身。戊辰戦争後、東京の斗南藩学で英学を学び、17歳で米国エール大学に留学し土木工学を専攻し卒業。1881年東京帝国大学教授、1901年同大学総⻑、1904年貴族院議員。九州帝国大学総⻑、京都帝国大学総⻑を歴任し、1915年男爵。1917年臨時教育会議委員、1923年枢密顧問官。「古武士のような」とか「最後の武人」等と呼ばれることも多かったが、東京帝国大学理学部物理学科の基礎を築く等、科学者として冷静な合理主義者であり、これをもって、白⻁隊生き残りの会津武士と、海外で開眼した合理精神に満ちた自然科学者とがある意味同居していたとも評される。 武蔵高等学校の生徒による優れた自然科学系研究に贈られる山川賞にその名を残す。理学博士。1931年没。
3代 校長 山本 良吉(やまもと りょうきち 在任 1931.3-1942.7 うち、1936.2までは校⻑事務取扱)
1871年石川県出身。東京帝国大学文科大哲学科選科修了。京都府立第二中学校教頭、第三高等学校教授、学習院教授を経て、 1922年武蔵高等学校教授兼教頭。開校時から一木、山川両校⻑の下で教頭を務め、次いで第3代校⻑として 通算20年余、独自の信念をもって武蔵高等学校の「創生」に努めた。多筆かつ健筆で論客として知られ、著書は「中等教養」「国⺠の教養」等27冊に上る。同郷の哲学者、西田幾多郎、禅学者、鈴木大拙とは生涯に渡る親友だった。武蔵高等学校の生徒による優れた文科系研究に贈られる山本賞にその名を残す。1942年没。
4代 校長 山川 黙(やまかわ しずか 在任 1942.7-1946.2 うち、1942.8までは校⻑事務取扱)
1886年東京府出身。府立第一中学、第一高等学校、東京帝国大学理科大学卒業。慶應義塾大学予科教授等を経て、1924年武蔵高等学校専任講師、1925年武蔵高等学校教授。在任中、高山植物図鑑等を記し、生徒の教養に資した。また、1943年、二代、三代両校⻑の名をつけた山川賞、山本賞の制度を制定した。日本山岳会の創始者七人名の一人で、同会の機関紙「山岳」の初期のものには旧姓の河田名で多くの寄稿が見られる。 前校長山本良吉の急逝の後、戦争期の困難な時期の武蔵を支えた。1966年没。
5代 校長 宮本 和吉(みやもと わきち 在任 1946.2-1956.3)
1883年山形県出身。東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業。1923年から2年間、文部省在外研究員としてドイツに留学。ハイデルベルグ大学、フライブルグ大学で研究する。1927年京城帝国大学教授。同大学法文学部長を経て、1946年2月旧制武蔵高等学校校⻑に就任、新学制とともに武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任。1956年3月武蔵を退任。その後、 成城大学学⻑、同学園⻑を務める。カント研究の第一人者。文学博士。1972年没。
6代 校長 吉野 信次( よしの しんじ 在任 1956.4-1965.3)
1888年宮城県出身。大正デモクラシーを主導した政治学者の吉野作造は実兄。古川中学、第一高等学校を経て東京帝国大学独法科卒業。農商務省、商工省等を経て、1937年商工大臣、1938年貴族院議員、1955年運輸大臣。1956年4月〜1965年3月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑。1971年没。
7代 校長 正田 建次郎(しょうだ けんじろう 在任 1965.4-1975.3)
1902年群馬県出身。父は初代根津嘉一郎の親友で財団法人根津育英会理事を務めた日清製粉創業者の正田貞一郎。美智子上皇后の叔父にあたる。第八高等学校を経て東京帝国大学理学部数学科卒業。ドイツ留学後、ベルリン大学、ゲッチンゲン大学で抽象代数学を研究、大阪帝国大学教授、大阪大学理学部長、同学⻑を歴任。1965年4月武蔵大学学⻑、武蔵高等学校・中学校校⻑に就任、単学部だった武蔵大学に人文学部を設立し、文科系総合大学への礎を築くとともに、高中、大学の教学面での充実に貢献した。1969年文化勲章受賞。1975年4月より武蔵学園⻑(新設)。現職中の1977年没。
8代 校長 大坪 秀二(おおつぼ ひでじ 在任 1975.4-1987.3)
1924年東京府出身。旧制武蔵高等学校卒業(16期)。東京帝国大学理学部物理学科卒業。東京帝国大学大学院理学 研究科修士課程修了。昭和医科大学予科教授を経て、1950年武蔵高等学校中学校教諭。1953年より1967 年まで武蔵大学助教授兼任。1967年武蔵高等学校中学校教頭。1975年4月武蔵高等学校中学校校⻑。1987 年3月退任。1990年武蔵高等学校中学校教諭退職。以後、1996年3月まで講師として教壇に立った。講師退職後は武蔵学園記念室名誉顧問として学園史関連資料の整理、分析に尽力した。理学修士。2015年没。
9代 校長 小林 奎二(こばやし けいじ 在任 1987.4-1991.3)
1928年東京都出身。旧制武蔵高等学校修了(23期)。東京大学工学部卒業。東京大学大学院工学研究科修士課程修了。 1955年4月武蔵高等学校中学校専任講師、1955年10月武蔵高等学校中学校教諭。1956年より1987年まで武蔵大学講師・助教授・教授を兼任。1987年4月武蔵高等学校中学校校⻑。1991年3月退任。1994年武蔵高等学校中学校教諭退職。以後、1999年まで武蔵高等学校中学校講師、武蔵大学講師として教壇に立つ。 工学修士。
10代 校長 矢崎 三夫(やざき みつお 在任 1991.4-1997.3)
1932年東京都出身。武蔵高等学校卒業(31期)。東京外国語大学卒業。1961年武蔵高等学校中学校専任講師。1962年武蔵高等学校中学校教諭。1987年武蔵高等学校中学校教頭。1991年4月武蔵高等学校中学校校⻑。1997年3月退任。1998年武蔵高等学校中学校教諭退職。以後も講師として教壇に立つ。2020年3月没。
11代 校長 福田 泰二(ふくだ やすじ 在任 1997.4-2005.3)
1937年東京都出身。武蔵高等学校卒業(30期)。東京大学理学部生物学科卒業。東京大学大学院生物系研究科植物学専門課程修士課程修了。東京大学大学院理学系研究科植物学専門課程博士課程単位取得満期退学。1975 年千葉大学教養部助教授。1988年千葉大学教養部教授。1994年千葉大学園芸学部教授。1997年4月武蔵高等学校中学校校⻑。2005年3月退任。以後、武蔵高等学校中学校非常勤講師を2008年まで務める。2008年 4月より武蔵学園記念室名誉顧問。理学博士。
12代 校長 山崎 元男(やまざき もとお 在任 2005.4-2010.9)
埼玉県出身。東北大学理学部物理学系学科から早稲田大学第二文学部日本文学科に編入し卒業。早稲田大学大学学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期課程修了。早稲田大学大学学院文学研究科日本文学専攻博士 課程後期課程単位取得満期退学。埼玉県立豊岡高等学校定時制非常勤講師を経て、1978年武蔵高等学校中学校教諭。2005年4月武蔵高等学校中学校校⻑。2010年9月退任。 2017年4月より2021年3月まで山脇学園高等学校中学校校長。
13代 校長 梶取 弘昌(かじとり ひろまさ 在任 2010.5-2019.3 うち、2011.3までは校⻑代行)
1952年東京都出身。武蔵高等学校中学校卒業(45期)。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1977年武蔵高等学校中学校講師。1988年武蔵高等学校中学校教諭。2005年武蔵高等学校中学教頭。2011年4月武蔵高等学校中学校校⻑。専門はドイツリート。
14代 校長 杉山 剛士(すぎやま たけし 在任 2019.4- )
1957年東京都出身。武蔵高等学校中学校卒業(50期)。東京大学教育学部教育学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。専攻は教育社会学。埼玉県教育局文教政策室長、埼玉県立熊谷西高等学校長、埼玉県教育局高校教育指導課長、埼玉県立浦和高等学校長を経て、2019年4月より武蔵高等学校中学校校長に就任。