第6回 医療現場におけるデータ活用の現状と人材育成の未来を語る
2025年11月1日、武蔵学園データサイエンス研究所主催の講演会「データサイエンスで「がん」に立ち向かう ~予防・検診・治療・共生の最前線~」が行われました。その後、大阪医科薬科大学医学部医療統計学研究室の伊藤ゆり特別職務担当教員(教授)をゲストに迎え、データサイエンス研究所の池田康夫所長(武蔵学園学園長)、武蔵大学社会学部メディア社会学科の庄司昌彦教授、粉川一郎教授及び市川衛准教授、武蔵高等学校・中学校情報・技術科の村上豊教諭が集い、医療現場におけるデータ活用の現状と課題、領域横断的なデータサイエンス教育の必要性について、講演内容を踏まえ語り合いました。
プロフィール
前列右:伊藤ゆり(いとうゆり)
大阪医科薬科大学 医学部 医療統計学研究室 特別職務担当教員(教授)。
2007年、大阪大学大学院 医学系研究科 博士後期課程修了。保健学博士。同年、大阪府立成人病センター調査部リサーチ・レジデント(がん研究振興財団)。2010年、同がん予防情報センター疫学予防課研究員(生物統計研究職)、2015年、同主任研究員(生物統計研究職)。2018年、大阪医科大学研究支援センター医療統計室室長准教授。2021年、大阪医科薬科大学医学研究支援センター医療統計室室長准教授。2025年4月より現職。専門はがん疫学、医療統計。健康政策に関する研究に従事。
前列中央:池田康夫(いけだやすお)
武蔵学園データサイエンス研究所所長/武蔵学園長。
1968年、慶應義塾大学医学部卒業。米国ブラウン大学留学、慶應義塾大学医学部内科学教授・同大学医学部長、早稲田大学理工学術院生命医科学科教授を経て、現在は慶応義塾大学名誉教授。2021年4月より現職。
前列左:庄司昌彦(しょうじまさひこ)
武蔵大学社会学部メディア社会学科教授。
2002年、中央大学大学院総合政策研究科博士前期課程修了。修士(総合政策)。2002年、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員。2015年、同准教授・主任研究員。2018年、同准教授・主幹研究員を経て、2019年4月より現職。デジタル庁オープンデータ伝道師、一般社団法人社会情報学会(SSI)副会長も務めている。著書に『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』(分担執筆)。
後列右:市川衛(いちかわまもる)
武蔵大学社会学部メディア社会学科准教授。
2000年、東京大学医学部健康科学・看護学科卒業。同年NHK入局。医療・健康分野を中心に国際的に取材活動を展開。2021年にNHKを退職後、READYFOR株式会社基金開発・公共政策部門の責任者、日本医学ジャーナリスト協会幹事などに就任。2025年4月より現職。著書に『教養としての健康情報 「それ」本当に信じていいですか?』(単著)。
後列中央:粉川一郎(こがわいちろう)
武蔵大学社会学部メディア社会学科教授。
1997年、筑波大学大学院修士課程環境科学研究科修了。修士(環境科学)。三重県生活部NPO室市民プロデューサーを経て、2004年、武蔵大学社会学部メディア社会学科専任講師。2011年より現職。専門は、ソーシャルメディア論、NPO論、行政と市民のパートナーシップ。著書に『社会を変えるNPO評価』(単著)。
後列左:村上豊(むらかみゆたか)
武蔵高等学校・中学校情報・技術科主任(数学科・情報科教諭)。
2000年、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科(博士後期課程)単位取得退学。修士(教育学)。1990年、東京大学教育学部附属中学校・高等学校非常勤講師を経て1992年より武蔵高等学校中学校数学科教諭。2015年~同校情報科主任を兼任、2022年より現職。また、2015年~現在、白梅学園大学子ども学部兼任非常勤講師。
データ解析により可視化された破滅的医療支出のリスク
市川准教授(以下、市川):先ほどの伊藤先生のご講演では、全国がん患者登録のデータをもとに、予防や治療という面でデータサイエンスを社会にどう活用するかということについてお話を伺いました。本学園長の池田先生は医師免許を持つ医師でいらっしゃいますし、過去には慶應大学の血液内科で血液のがんの治療の研究に深く関わってこられました。そうした立場からご覧になって、特に重要だと思ったことなどがあればお話しいただけますでしょうか。
池田所長(以下、池田):本日のご講演は、2016年から施行されている「全国がん登録」に基づいて国内のデータを正確に解析しつつ、行政にとって有用なデータや、本日参加された一般の方々にも関心のあるデータに関してお話しいただいたのが印象的でした。
例えば、高額の治療費がかかったり病気により仕事ができなくなることで、家計に深刻な悪影響が出る経済毒性のお話です。これは患者と医師の関係においても非常に重要です。そうしたこともふくめて医療者側が患者さんの持つ問題点を、データに基づいて正確に把握をしながら日々の診療に携わることが非常に大事だと改めて思いました。今後は医師の側もこうした知見を得ながら医療を展開していくことが当たり前になってほしいと思います。というのも医師はどちらかというと病気そのものの治療のみに関心を向けがちだからです。しかし、患者さんには色々なバックグラウンドがあるわけです。(経済面や精神的側面など)そうしたことも踏まえながら治療に向き合うことの大切さを改めて痛感した次第です。本当にありがとうございました。
市川:池田先生がおっしゃったとおり、従来は経済毒性についてそこまで深く追求されることが少なかったと思います。最近になって注目されるようになった理由は何でしょうか?
伊藤特別職務担当教員(教授)(以下、伊藤):少なからず経済的な理由で治療が継続できなくなってしまう方がいるということがデータにより可視化された形で世の中に出てきたことの影響があると思います。
伊藤特別職務担当教員(教授)(以下、伊藤):少なからず経済的な理由で治療が継続できなくなってしまう方がいるということがデータにより可視化された形で世の中に出てきたことの影響があると思います。
庄司教授(以下、庄司):医療の進歩などによってがん以外の病気で亡くなる方が減ったことや、長寿化に伴い人生の後半以降に何かしらのがんを患う方が増えたことで、がんと付き合うための費用が問題になりやすくなったことも要因としてあるのではないでしょうか。
伊藤:仰る通りだと思います。がんの治療が外科手術だけで終わる方ももちろんいますが、再発を予防するための投薬にかかる費用も非常に高価かつ長期間に渡る場合も多々あります。また、若い患者さんもふくめて、がん治療が 長期化していることも理由のひとつだと思います。
市川:ご講演で拝見したデータで示されていましたが、過去10年に比べて生存率や生存期間が延びている疾患のなかで特に長く延びていたのが悪性リンパ腫でした。その悪性リンパ腫にかかっている若い方が、治療費が高すぎることを理由に治療を断念する事例も挙げられていました。お金があれば良い治療を受けられて長く生きられるようになった一方で、経済的な理由によりそれを断念せざるを得ないという状況が生まれているということですね。
伊藤:せっかく新しい治療方法の認可が降りたにもかかわらず、それを一部の人しか続けられないということでは、国の予算を使って医療費も負担する中で、公平性が保たれていないということです。それはすごく残念な結果だと思います。そうした課題を可視化していくことと、治療費の自己負担額や長期に渡る通院といったコストの問題を解決しつつ治療を続ける手段をいかに確保するかという両方に取り組む必要があると思います。
市川:見えることによって対策が進んでいくということですね。今回の講演では高額療養費の自己負担額の上限の引き上げについても言及されていました。3,000人くらいの患者さんたちに「上限の引き上げをされることで生活がどのように苦しくなるのか?」ということを聞いたアンケートの結果を示されていましたが、アンケートはどのように実施したのでしょうか?
庄司:世の中で実施される多くのアンケートが設定された選択肢の中から回答者の考えに近いものを選択させるなか、今回は自由記述にしたそうですね。
伊藤:アンケート自体は私が計画したものではありませんが、自己負担額の上限引き上げに対する反対表明のためのアンケートなので、まず賛成か反対かと問われればほぼ全員が反対と回答したと思います。どういう観点から反対なのかの回答を自由記述にしたのは、実施者が選択肢を設けてしまうと回答の方向性を誘導できてしまうという懸念からだと思います。
伊藤:せっかく新しい治療方法の認可が降りたにもかかわらず、それを一部の人しか続けられないということでは、国の予算を使って医療費も負担する中で、公平性が保たれていないということです。それはすごく残念な結果だと思います。そうした課題を可視化していくことと、治療費の自己負担額や長期に渡る通院といったコストの問題を解決しつつ治療を続ける手段をいかに確保するかという両方に取り組む必要があると思います。
市川:見えることによって対策が進んでいくということですね。今回の講演では高額療養費の自己負担額の上限の引き上げについても言及されていました。3,000人くらいの患者さんたちに「上限の引き上げをされることで生活がどのように苦しくなるのか?」ということを聞いたアンケートの結果を示されていましたが、アンケートはどのように実施したのでしょうか?
庄司:世の中で実施される多くのアンケートが設定された選択肢の中から回答者の考えに近いものを選択させるなか、今回は自由記述にしたそうですね。
伊藤:アンケート自体は私が計画したものではありませんが、自己負担額の上限引き上げに対する反対表明のためのアンケートなので、まず賛成か反対かと問われればほぼ全員が反対と回答したと思います。どういう観点から反対なのかの回答を自由記述にしたのは、実施者が選択肢を設けてしまうと回答の方向性を誘導できてしまうという懸念からだと思います。
粉川教授(以下、粉川):お話を伺って、2つほどお聞きしたいことがあります。ひとつは高額医療費のインパクトについてです。ご講演のなかで伊藤先生がデータを示しながら、どんな収入層でも破滅的医療支出に陥るリスクがあるというエビデンスが明白に出てきているにもかかわらず、そうした論点をマスメディアではこれまで報じてこなかったのはなぜだったのでしょうか。
もうひとつは、住んでいる地域によって特に若年層でがんにかかった方が治療を諦めてしまうケースが3〜4倍になっているというデータは、改めて見せられると非常にインパクトがあります。しかし思い返してみると、EBPM(Evidence Based Policy Making:エビデンスに基づく政策立案)という形で議論をしていく流れの中で、健康格差や貧困の問題はかねてより指摘されていました。それにもかかわらず政策決定において、そこがうまく活用されない理由も気になります。
伊藤:高額医療費については、世帯収入のレンジに応じて負担額が変わる階段状のグラフだけがメディアに出ていました。しかし、それだけでは世帯ごとの収入の水準によって上がり方の逼迫感が異なることを示せていないため、それを検証する必要があると考えました。
例えば収入に応じて療養の際に住む家の広さや設備も違うでしょうし、医療費もそれ単体ではなく家計全体の中で見るのが大事です。それらについては政府の方で数字を出していなかったのですね。新聞などマスメディアの報道は国の資料からしかデータを参照できません。今回の検証結果が国の検討資料の中に入ってなかったからおそらく報道されていなかったのだと思います。
市川:いま粉川先生がおっしゃった破滅的医療支出というのは、患者さんの世帯の家計や生活が医療費によって破滅してしまう水準の金額のことを指します。完全に標準的な基準はまだありませんが、WHOは支払能力の4割を医療費が超えると、生活が立ち行かなくなると定めています。
そして伊藤先生が「階段」とおっしゃっていたのが世帯収入ごとの高額医療費の上限のお話です。患者さんの収入の段階によって高額療養費の上限が階段状に高くなっていきます。今回の厚労省の提案はその階段を全体的に高くしつつ、段差をさらに細かく変更するというものでした。そこで注目されたのが、高収入世帯の上限が急に高くなったことです。それと比較すると低収入の世帯は少ししか上限が上がっていないように見えるので、実際は負担が小さくないにもかかわらず、厚労省の資料だけを見ると負担が小さいように見えてしまうのです。
伊藤先生が取り組まれたのは、もとの収入から見た場合、上昇の影響が違うはずなので実際はどうかをデータで示すことでした。その結果、収入が低い人の方がより影響が大きいということが明らかになりました。同時に破滅的医療支出の状態に陥っている世帯も多くあることが初めて明らかになりました。こうしたことをメディアが報じてこなかったのは、医療の専門知識がある人材が足りていないことと、そうであるがゆえに国が公開した審議会の資料などをもとに報道せざるを得なかったからだと思います。しかし、今回この破滅的医療支出という新しい切り口で伊藤先生がデータを出して以降、そこをキーワードとして報じる報道が大手メディアもふくめて増えたと感じています。
もうひとつは、住んでいる地域によって特に若年層でがんにかかった方が治療を諦めてしまうケースが3〜4倍になっているというデータは、改めて見せられると非常にインパクトがあります。しかし思い返してみると、EBPM(Evidence Based Policy Making:エビデンスに基づく政策立案)という形で議論をしていく流れの中で、健康格差や貧困の問題はかねてより指摘されていました。それにもかかわらず政策決定において、そこがうまく活用されない理由も気になります。
伊藤:高額医療費については、世帯収入のレンジに応じて負担額が変わる階段状のグラフだけがメディアに出ていました。しかし、それだけでは世帯ごとの収入の水準によって上がり方の逼迫感が異なることを示せていないため、それを検証する必要があると考えました。
例えば収入に応じて療養の際に住む家の広さや設備も違うでしょうし、医療費もそれ単体ではなく家計全体の中で見るのが大事です。それらについては政府の方で数字を出していなかったのですね。新聞などマスメディアの報道は国の資料からしかデータを参照できません。今回の検証結果が国の検討資料の中に入ってなかったからおそらく報道されていなかったのだと思います。
市川:いま粉川先生がおっしゃった破滅的医療支出というのは、患者さんの世帯の家計や生活が医療費によって破滅してしまう水準の金額のことを指します。完全に標準的な基準はまだありませんが、WHOは支払能力の4割を医療費が超えると、生活が立ち行かなくなると定めています。
そして伊藤先生が「階段」とおっしゃっていたのが世帯収入ごとの高額医療費の上限のお話です。患者さんの収入の段階によって高額療養費の上限が階段状に高くなっていきます。今回の厚労省の提案はその階段を全体的に高くしつつ、段差をさらに細かく変更するというものでした。そこで注目されたのが、高収入世帯の上限が急に高くなったことです。それと比較すると低収入の世帯は少ししか上限が上がっていないように見えるので、実際は負担が小さくないにもかかわらず、厚労省の資料だけを見ると負担が小さいように見えてしまうのです。
伊藤先生が取り組まれたのは、もとの収入から見た場合、上昇の影響が違うはずなので実際はどうかをデータで示すことでした。その結果、収入が低い人の方がより影響が大きいということが明らかになりました。同時に破滅的医療支出の状態に陥っている世帯も多くあることが初めて明らかになりました。こうしたことをメディアが報じてこなかったのは、医療の専門知識がある人材が足りていないことと、そうであるがゆえに国が公開した審議会の資料などをもとに報道せざるを得なかったからだと思います。しかし、今回この破滅的医療支出という新しい切り口で伊藤先生がデータを出して以降、そこをキーワードとして報じる報道が大手メディアもふくめて増えたと感じています。
オープンデータはなぜ重要なのか?
庄司:破滅的医療支出の現状をそれまで出せていなかったことについては、恐らく厚労省には厚労省なりの理由があったと思いますが、データに基づいた議論としては不十分でした。少なくともデータがオープンになっていれば、今回の伊藤先生のように後から検証することができます。オープンデータはそういう意味でも大事だと思います。
伊藤:オープンデータは本当に大事です。今回はe-Stat(政府統計の総合窓口)で確認したところ、そこで公開されている家計調査であれば収入ごとの食費なども分かるので、そこから解析に着手することができました。
市川:家計調査のオープンデータがあったから作れたということですね。
伊藤:そうです。e-Statなら本当にサッと出せますから。
庄司:e-Statは簡単な分析ツールまで提供していまして、ブラウザからも使えます。専門的なソフトウェアの知識も必要ありません。
市川:オープンデータを何かしらの切り口を考えて使うことは中高生にも学んでほしいですね。
村上教諭(以下、村上):伊藤先生は中高生にも講座を実施されていると伺いましたが、どのように実施されたのでしょうか?
伊藤:データに関心がある中高生向けに自由参加のデータサイエンス講座を実施しています。そこで私がいつも紹介しているのは、各国や地域の社会や経済、環境開発に関する統計を公開している「Gapminder」です。データはすべてオープンで自分でグラフを描くこともできます。
大阪医科薬科大学はSDGs教育に力を入れていることもあり、これは誰が取り残されているのかという格差の問題を考えるうえでも役立ちます。中学生と高校生には、X軸を原因、Y軸を結果として描くことが多いことだけを説明して、後は自分で好きなX軸とY軸を選んでグラフを描いて、いいグラフができたら注釈をつけて投稿してもらいます。みんなが描いたグラフがどんどんアップされますが、私たちが思いもよらないような変数を選んで関係性を見てくれるので、いつもそれを楽しみにしています。そのように教育現場での活用もできるので、市民に開かれたデータは本当に大事ですよね。
村上:ありがとうございます。ちょうど高校の総合講座にデータサイエンスを入れようと考えて動いているところなので勇気づけられるお話でした。武蔵高校・中学の卒業生は公務員になる人が多いので、なおさらこういうデータを読んで解釈したうえで、課題解決への道筋を考えられる学生を育てたいところです。ただ、簡単なことではないので、やはり指導をする際にも柔軟な人たちを育てていくことが大事ですね。
伊藤:オープンデータは本当に大事です。今回はe-Stat(政府統計の総合窓口)で確認したところ、そこで公開されている家計調査であれば収入ごとの食費なども分かるので、そこから解析に着手することができました。
市川:家計調査のオープンデータがあったから作れたということですね。
伊藤:そうです。e-Statなら本当にサッと出せますから。
庄司:e-Statは簡単な分析ツールまで提供していまして、ブラウザからも使えます。専門的なソフトウェアの知識も必要ありません。
市川:オープンデータを何かしらの切り口を考えて使うことは中高生にも学んでほしいですね。
村上教諭(以下、村上):伊藤先生は中高生にも講座を実施されていると伺いましたが、どのように実施されたのでしょうか?
伊藤:データに関心がある中高生向けに自由参加のデータサイエンス講座を実施しています。そこで私がいつも紹介しているのは、各国や地域の社会や経済、環境開発に関する統計を公開している「Gapminder」です。データはすべてオープンで自分でグラフを描くこともできます。
大阪医科薬科大学はSDGs教育に力を入れていることもあり、これは誰が取り残されているのかという格差の問題を考えるうえでも役立ちます。中学生と高校生には、X軸を原因、Y軸を結果として描くことが多いことだけを説明して、後は自分で好きなX軸とY軸を選んでグラフを描いて、いいグラフができたら注釈をつけて投稿してもらいます。みんなが描いたグラフがどんどんアップされますが、私たちが思いもよらないような変数を選んで関係性を見てくれるので、いつもそれを楽しみにしています。そのように教育現場での活用もできるので、市民に開かれたデータは本当に大事ですよね。
村上:ありがとうございます。ちょうど高校の総合講座にデータサイエンスを入れようと考えて動いているところなので勇気づけられるお話でした。武蔵高校・中学の卒業生は公務員になる人が多いので、なおさらこういうデータを読んで解釈したうえで、課題解決への道筋を考えられる学生を育てたいところです。ただ、簡単なことではないので、やはり指導をする際にも柔軟な人たちを育てていくことが大事ですね。
庄司:医療の情報化やデータ活用は昔から大事だと言われ続けながらも、なかなかつながらない領域に見えていましたが、ここのところ雰囲気が変わってきたなと思います。それはどうしてでしょうか。
伊藤:それについては私は少し悲観的かもしれません。以前よりは進んではきたとはいえ、海外と比較するとデータの公開が、がんの領域でも進んでいないからです。でもおっしゃるように、「NDBオープンデータ」のようにレセプト情報・特定健診等情報データベースが公開されたりもしますし、そうしたデータを作成して販売している企業も出てきています。
EBPM(Evidence Based Policy Making)の考え方は、医療の分野では2000年代くらいからあるEBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づく医療)と言われています。例えばこれまで治療法や新薬などの臨床試験においては、RCT(Randomized Controlled Trial:ランダム化比較試験)を取り入れながらも、試験に採用される人は合併症がない人や高齢者ではない人などです。でも実際に医療現場で医師たちが向き合う人たちはまさに合併症を持つ方や高齢者が多いわけです。
現実に直面するこうした難しい症例のデータも含む医療情報のことをリアルワールドデータと私たちは呼んでいます。ガイドラインは整えられた環境での治験や臨床試験の結果で作られていますが、それ以外の人が実際にどのような治療をしているのかがやはり重要になります。それにはデータが必要ですから、リアルワールドデータに基づいたエビデンスも出てくるようになりました。
市川:伊藤先生がおっしゃったことは本当にそうで、近年になって医療データの取得が進んできた背景には電子カルテの普及があります。データが最初からデジタル化されることによって、治療成績であるリアルワールドデータが取れるようになってきた影響が大きいですね。
一方で、伊藤先生が進んでいないと言った部分は、電子カルテ同士の標準化がされていないため、データが統合できないという問題があるからです。電子カルテのメーカーは大手が数社ありますが、そのメーカーごとにデータが分かれてしまっています。政府は今この電子カルテの標準化を進めようと力を入れているところです。
あと諸外国と比べて進んでいないのは、保険者ごとのデータの統合です。レセプトは取れていても、それ以外の健康診断などのデータが統合されていません。日本の保険組合は、大きく分けて大企業が入っている健康保険組合と、中小が入っている協会けんぽ、公務員が加入する共済組合、あとそれ以外の自営業の方が加入している国民健康保険の4つがあります。また、この4つのなかでも細かく分かれているため、相互にデータが統合できていない状況です。
海外の事例で台湾を例に挙げると、私が取材したのは約10年前ですが、その時点で社会保障カード(マイナンバーカードのようなもの)も広く普及していたので、服薬データや健康保険データなどもすべて医師が確認できていました。日本では今もそれができていません。台湾は日本よりも後に国民皆保険を達成しましたが、政府の担当の方が「データが取りにくい日本の状況を見ていたから、国民皆保険を実現する際には健康保険組合をひとつしか作らないようにしたのではないか」とおっしゃっていました。
庄司:マイナンバーに関して韓国の研究者の方から伺ったのは、最初何もないところから作れば比較的早く国民全員のデータベースが作れますが、一方で早い時期からさまざまな情報を分散管理するようにしていたところで後からつなごうとすると時間がかかって苦労するとのことでした。まさに日本は今、その状況に陥っているわけですね。
市川:日本は国民皆保険を達成した国だから大変というところもあるんですよね。
伊藤:韓国も統一されていないカルテでしたが、標準化してデータを取れるようにして、さらに全部そのデータを突合して研究者も使えるようにしたそうですね。どうやったんですかと尋ねたところ、国が予算をつけたと。やはり、そうした部分は国が主導しないと進まないですよね、電子カルテの会社からしたらガラパゴス化しているほうが改修するごとに収益になるわけですから。おそらく国が統一すると決めて、企業に対してもインセンティブをつけたと思います。ですから、そうしたことには国がまとめてお金を投入しないと動かないだろうなと思います。
伊藤:それについては私は少し悲観的かもしれません。以前よりは進んではきたとはいえ、海外と比較するとデータの公開が、がんの領域でも進んでいないからです。でもおっしゃるように、「NDBオープンデータ」のようにレセプト情報・特定健診等情報データベースが公開されたりもしますし、そうしたデータを作成して販売している企業も出てきています。
EBPM(Evidence Based Policy Making)の考え方は、医療の分野では2000年代くらいからあるEBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づく医療)と言われています。例えばこれまで治療法や新薬などの臨床試験においては、RCT(Randomized Controlled Trial:ランダム化比較試験)を取り入れながらも、試験に採用される人は合併症がない人や高齢者ではない人などです。でも実際に医療現場で医師たちが向き合う人たちはまさに合併症を持つ方や高齢者が多いわけです。
現実に直面するこうした難しい症例のデータも含む医療情報のことをリアルワールドデータと私たちは呼んでいます。ガイドラインは整えられた環境での治験や臨床試験の結果で作られていますが、それ以外の人が実際にどのような治療をしているのかがやはり重要になります。それにはデータが必要ですから、リアルワールドデータに基づいたエビデンスも出てくるようになりました。
市川:伊藤先生がおっしゃったことは本当にそうで、近年になって医療データの取得が進んできた背景には電子カルテの普及があります。データが最初からデジタル化されることによって、治療成績であるリアルワールドデータが取れるようになってきた影響が大きいですね。
一方で、伊藤先生が進んでいないと言った部分は、電子カルテ同士の標準化がされていないため、データが統合できないという問題があるからです。電子カルテのメーカーは大手が数社ありますが、そのメーカーごとにデータが分かれてしまっています。政府は今この電子カルテの標準化を進めようと力を入れているところです。
あと諸外国と比べて進んでいないのは、保険者ごとのデータの統合です。レセプトは取れていても、それ以外の健康診断などのデータが統合されていません。日本の保険組合は、大きく分けて大企業が入っている健康保険組合と、中小が入っている協会けんぽ、公務員が加入する共済組合、あとそれ以外の自営業の方が加入している国民健康保険の4つがあります。また、この4つのなかでも細かく分かれているため、相互にデータが統合できていない状況です。
海外の事例で台湾を例に挙げると、私が取材したのは約10年前ですが、その時点で社会保障カード(マイナンバーカードのようなもの)も広く普及していたので、服薬データや健康保険データなどもすべて医師が確認できていました。日本では今もそれができていません。台湾は日本よりも後に国民皆保険を達成しましたが、政府の担当の方が「データが取りにくい日本の状況を見ていたから、国民皆保険を実現する際には健康保険組合をひとつしか作らないようにしたのではないか」とおっしゃっていました。
庄司:マイナンバーに関して韓国の研究者の方から伺ったのは、最初何もないところから作れば比較的早く国民全員のデータベースが作れますが、一方で早い時期からさまざまな情報を分散管理するようにしていたところで後からつなごうとすると時間がかかって苦労するとのことでした。まさに日本は今、その状況に陥っているわけですね。
市川:日本は国民皆保険を達成した国だから大変というところもあるんですよね。
伊藤:韓国も統一されていないカルテでしたが、標準化してデータを取れるようにして、さらに全部そのデータを突合して研究者も使えるようにしたそうですね。どうやったんですかと尋ねたところ、国が予算をつけたと。やはり、そうした部分は国が主導しないと進まないですよね、電子カルテの会社からしたらガラパゴス化しているほうが改修するごとに収益になるわけですから。おそらく国が統一すると決めて、企業に対してもインセンティブをつけたと思います。ですから、そうしたことには国がまとめてお金を投入しないと動かないだろうなと思います。
多角的な観点からデータサイエンス人材の育成を考える
市川:武蔵大学では2027年度より情報社会デザイン専攻を新設します。これはデータサイエンスなどを活用して、いかに社会をデザインしていくのかを考える学科です。文系の学部がそういうデータサイエンスに力を入れていくことに対して、医療分野の研究をされている先生から見てどのようなご期待がありますか?
伊藤:これからは、ただ単に長生きさえできればいいという時代ではないですよね。幸福など内面の豊かさもふくめたQOLなどが大事なアウトカムになります。それは社会科学や人文学などの文系の考え方も必要で、従来の理系分野だけの知識だけではできない仕事だと思います。データについても量的な研究や統計だけではなく質的な研究もそこでは重要になってくるはずです。ですから文系の学部内にデータサイエンスにフォーカスした専攻ができることには期待していますし、医療の分野でもそうしたアプローチによる患者さんへの理解がより重要になると思います。
またこうした領域こそ、ひとつの領域からのアプローチでは解決できない課題があまりにも多いです。文系の学部だけでは解決が難しいですから、そうした学部でも理系の先生方が来て指導することも大切ですよね。また、多様な分野の人と会話や議論ができる人を育てないといけないとも思います。社会のデザインに携わるには実に幅広い知識が必要です。自分一人がすべてを知る必要はもちろんありませんが「このことはこの専門家に聞けばいい」と判断ができることが重要です。そのためにも、大学初期で行う基礎の勉強やサークルや課外活動など所属する学部や専攻を飛び越えた人付き合いも大切になると思います。
市川:社会的な課題に関する具体的な例を挙げると、今後15年の医療に関する大きなトピックは確実に医療費に関する問題になると言われています。社会保障が限界に来てしまっているので、医療費について考える際には、それを減らすことが社会にどのようなインパクトをもたらすのか、減らすことによって患者さんはどういう社会的な影響を受けるのかを考えていかないといけません。それには、社会学の考え方が不可欠となります。
庄司:そうですね。さらにそのトピックだと経済学者も入ってきますよね。では社会学と経済学だけでいいのかと言うと、そうではなくて人文学も必要になるはずです。
市川:ですから文系とのコラボレーションは非常に重要です。
伊藤:これからは、ただ単に長生きさえできればいいという時代ではないですよね。幸福など内面の豊かさもふくめたQOLなどが大事なアウトカムになります。それは社会科学や人文学などの文系の考え方も必要で、従来の理系分野だけの知識だけではできない仕事だと思います。データについても量的な研究や統計だけではなく質的な研究もそこでは重要になってくるはずです。ですから文系の学部内にデータサイエンスにフォーカスした専攻ができることには期待していますし、医療の分野でもそうしたアプローチによる患者さんへの理解がより重要になると思います。
またこうした領域こそ、ひとつの領域からのアプローチでは解決できない課題があまりにも多いです。文系の学部だけでは解決が難しいですから、そうした学部でも理系の先生方が来て指導することも大切ですよね。また、多様な分野の人と会話や議論ができる人を育てないといけないとも思います。社会のデザインに携わるには実に幅広い知識が必要です。自分一人がすべてを知る必要はもちろんありませんが「このことはこの専門家に聞けばいい」と判断ができることが重要です。そのためにも、大学初期で行う基礎の勉強やサークルや課外活動など所属する学部や専攻を飛び越えた人付き合いも大切になると思います。
市川:社会的な課題に関する具体的な例を挙げると、今後15年の医療に関する大きなトピックは確実に医療費に関する問題になると言われています。社会保障が限界に来てしまっているので、医療費について考える際には、それを減らすことが社会にどのようなインパクトをもたらすのか、減らすことによって患者さんはどういう社会的な影響を受けるのかを考えていかないといけません。それには、社会学の考え方が不可欠となります。
庄司:そうですね。さらにそのトピックだと経済学者も入ってきますよね。では社会学と経済学だけでいいのかと言うと、そうではなくて人文学も必要になるはずです。
市川:ですから文系とのコラボレーションは非常に重要です。
庄司:AIの分野も重要ですよね。必要なデータが整備されていけば、医療分野のAIの進歩もどんどん加速していくと思います。
伊藤:LLMを活用して患者さんの感情を整理することで、今まで気がつかなかったことが可視化される可能性はあると思います。あるいは、医師が非常に多忙ななかで治療方針を考える際に、システムの中で標準的な治療やそれらにかかる費用などをAIが取り出して場合分けするといった使い方も今後は発展していくと思いますし、患者さん自身が疑問を投げかけることもできるようになるでしょう。ただ、特に医療の分野ではAIをいかに正しく活用するかが重要です。例えばAIと対話していくうちに自身の行く末を悲観して自殺するのは最悪のケースです。
市川:そうですね。精神科の医師とお話していると、生成AIに限定した話ではありますが、精神的に落ち込んだ患者さんと長時間に渡って共感的に対話し続けることにかけては、AIは非常に優れているわけです。それだけの時間を医療者は割けないので、そうした部分はAIに委ねつつ、医療者はそこでの会話の中で変なこと、例えば依存が強くなりすぎてないかなどをチェックする役割になるのではないかと話していました。
伊藤:それはいいかもしれませんね。PRO(Patient Reported Outcome:患者報告アウトカム)という、自宅などで療養中に感じる痛みや不安を患者さんが入力して後から医師に報告する方法がありますが、それが対話式になっていたら来院までの期間の経緯がスマホを通じてカルテに紐付いて、医師と面談する際にはサマリーとして上げることもできそうです。
庄司:患者さんのデータから学習してパーソナライズできるとさらに良さそうですね。
伊藤:私の症状や価値観なども加味して答えてくれるといいかもしれませんね。
市川:精神科の先生と話したとき、精神科の患者さんが「死にたい」と言った時に「そんなこと言っちゃ駄目だよ」と答えたら、理解されないという疎外感からさらに希死念慮が強化されてしまう場合があるそうです。だからと言って、「死んでもいいんだよ」と肯定するわけにもいきません。そうしたものを葛藤状況にある質問と言うそうですが、AIの場合は答えのない質問であっても無理に答えようとしてしまいます。さらに、そういう答えのない質問を繰り返しされると、AIの回答がどんどん変になっていくという傾向もあるそうです。LLMの精神医療への応用は、やはり細かくチェックしていかないとリスクは大きいですよね。
粉川:そういう意味でいうと、昔ながらのチャットボットでも本当はいいのかもしれません。チャットボットの歴史はカウンセリングのツールからスタートしていますから、我々から見たらコンピュータプログラムとしか呼べないようなレベルの当時のやりとりでも、ELIZA効果みたいな形で親密性が生まれるわけですよね。そう考えると、患者さんへの寄り添いはやりすぎてはいけないのかもしれません。
市川:そうした議論を進めるためにも、多角的な観点からの人材育成は今後ますます重要になりそうです。本日はありがとうございました。
(Writer:高橋ミレイ)
伊藤:LLMを活用して患者さんの感情を整理することで、今まで気がつかなかったことが可視化される可能性はあると思います。あるいは、医師が非常に多忙ななかで治療方針を考える際に、システムの中で標準的な治療やそれらにかかる費用などをAIが取り出して場合分けするといった使い方も今後は発展していくと思いますし、患者さん自身が疑問を投げかけることもできるようになるでしょう。ただ、特に医療の分野ではAIをいかに正しく活用するかが重要です。例えばAIと対話していくうちに自身の行く末を悲観して自殺するのは最悪のケースです。
市川:そうですね。精神科の医師とお話していると、生成AIに限定した話ではありますが、精神的に落ち込んだ患者さんと長時間に渡って共感的に対話し続けることにかけては、AIは非常に優れているわけです。それだけの時間を医療者は割けないので、そうした部分はAIに委ねつつ、医療者はそこでの会話の中で変なこと、例えば依存が強くなりすぎてないかなどをチェックする役割になるのではないかと話していました。
伊藤:それはいいかもしれませんね。PRO(Patient Reported Outcome:患者報告アウトカム)という、自宅などで療養中に感じる痛みや不安を患者さんが入力して後から医師に報告する方法がありますが、それが対話式になっていたら来院までの期間の経緯がスマホを通じてカルテに紐付いて、医師と面談する際にはサマリーとして上げることもできそうです。
庄司:患者さんのデータから学習してパーソナライズできるとさらに良さそうですね。
伊藤:私の症状や価値観なども加味して答えてくれるといいかもしれませんね。
市川:精神科の先生と話したとき、精神科の患者さんが「死にたい」と言った時に「そんなこと言っちゃ駄目だよ」と答えたら、理解されないという疎外感からさらに希死念慮が強化されてしまう場合があるそうです。だからと言って、「死んでもいいんだよ」と肯定するわけにもいきません。そうしたものを葛藤状況にある質問と言うそうですが、AIの場合は答えのない質問であっても無理に答えようとしてしまいます。さらに、そういう答えのない質問を繰り返しされると、AIの回答がどんどん変になっていくという傾向もあるそうです。LLMの精神医療への応用は、やはり細かくチェックしていかないとリスクは大きいですよね。
粉川:そういう意味でいうと、昔ながらのチャットボットでも本当はいいのかもしれません。チャットボットの歴史はカウンセリングのツールからスタートしていますから、我々から見たらコンピュータプログラムとしか呼べないようなレベルの当時のやりとりでも、ELIZA効果みたいな形で親密性が生まれるわけですよね。そう考えると、患者さんへの寄り添いはやりすぎてはいけないのかもしれません。
市川:そうした議論を進めるためにも、多角的な観点からの人材育成は今後ますます重要になりそうです。本日はありがとうございました。
(Writer:高橋ミレイ)