第2回 新型コロナウイルスの流行と医療データ収集の課題

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行は、医療現場におけるデータ収集やデータ解析のあり方にどのような課題を投げかけているのか。
今回は武蔵大学社会学部メディア社会学科グローバル・データサイエンスコース(GDS)の針原素子准教授が東京大学医学系研究科 社会医学専攻 医療情報学分野 大江和彦教授(本学園データサイエンス研究所アドバイザリーボード)とZoomによる対談を行い、新型コロナウイルスに関する医療情報の収集の現場やその課題、また人文社会科学系大学のデータサイエンス教育が果たすべき役割等についてのお話を伺いました。

プロフィール

大江和彦(おおえかずひこ)

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東京大学医学系研究科社会医学専攻医療情報学分野教授。1959年大阪生まれ。1984年東京大学医学部医学科卒業。1989年東京大学大学院退学、東京大学医学部附属病院中央医療情報部助手。1990年同医学部講師。1994年11月同助教授。1997年4月より現職。2007年より公共健康医学専攻医療情報システム分野教授を併任。順天堂大学客員教授。日本医学会連合社会部会理事、次世代健康医療記録システム共通プラットフォームコンソーシアム(NeXEHRS)代表。

針原素子(はりはらもとこ)

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武蔵大学社会学メディア社会学科准教授。
1975年埼玉県生まれ。1999年東京大学文学部行動文化学科卒業。2005年東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻社会心理学専門分野博士課程単位取得満期退学。2008年4月博士号取得(社会心理学)。2005年日本学術振興会特別研究員(PD)。2009年日本学術振興会特別研究員(RPD)。2011年東京女子大学現代教養学部人間科学科心理学専攻特任講師。2017年4月より現職。

医療情報学について

針原准教授(以下、針原):大江先生のご専門である医療情報学とはどのような学問か、簡単にその内容をご説明いただいてもよろしいでしょうか。

大江教授(以下、大江):医療情報学というのは、診療の現場や医療の現場で発生する情報やデータをどのように収集するか、そしてそれらの分析から得られる知見をいかに医学医療にフィードバックするかを考察し実践する学問です。医療の場合、欠損値も多くデータがきれいに集まることは稀なので、それを解析できるようにデータを整理して解析に回すということが重要になります。また、そのデータを再構成し、医療自体を効率的に、あるいはデータ駆動型の医療ができるような形にして、医療現場にフィードバックすることがもう一つの目的です。そのためにできる限りいろいろな情報技術を必要な場面に適用していく手法と効果を研究する学問だと思ってください。

医療はデータを集めるためにやっているのではなく、患者さんの診療がトリガーとなってデータが発生しているところです。そのため仮に定期的に医療データを集めたいと計画しても、受診するタイミングは患者さんの病状や気分次第であったり、医療者側が必要と思うタイミングであったりと、現場のさまざまな事情に左右されてしまいます。

研究であれば事前に計画を立てたうえで作業をすると思いますが、診療の場合、患者さんごとのその時の状況に応じて必要最小限のことしかできない場合があります。データを得るために体力を消耗させてしまうとか、大きな検査をしなければならないとか、あるいはお金をかけなければならないとか、そうしたことはできませんから、思うようにデータは集められないのが普通です。

さまざまな制約がある中で集められたデータからどのように知見を得るか、あるいはそれをどのように組み合わせて臨床現場にフィードバックするか、そのためにITをいかに使用するか、そうしたことを研究しています。特に私は、後にデータを使う研究が効果的にできるように、いかにデータを生成し収集するかということに関心があります。

針原:そうしますと、今回の新型コロナのような未知の感染症に関するデータを集める手段として一番必要な学問領域だということになりますね。

大江:そう思いますが、感染があまりにも急激に広がってしまったために、データを集める前に問題が山積していたことも事実です。

新型コロナウイルスに関する医療情報の収集

針原:大江先生は、新型コロナに関する医療情報の収集についてどのように評価されていますか。

大江:1月下旬、法令改正があり新型コロナが指定感染症に指定されました。届け出の義務化が法的にはなされたので、データ収集を法的に実現できるチャンスだったわけです。

本来であればその時点ですぐに簡単なデータ収集システムを作り上げ、必要な項目を確実に入力できるようにすることが必要だったわけですが、当初は各医療機関や保健所がWordの入力書式などをダウンロードし、診療後、医師や事務員が記入してファックスをするといったことをしていたことが多かったと聞いています。

針原:ファックスについては、一般市民の間でも冗談ではないかと、だいぶ話題となっていました。

大江:普段からこういう簡単な収集システムが機能していないところが課題なのでしょう。2020年3月に入るといよいよこれでは限界があるということで、HER-SYS(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)という登録システムが短期間で設計され運用が一部で始まりました。これまでもいろいろな種類の感染症があったわけですから、パンデミックが起こってからこうしたシステムを作るのではなく、既に出来上がった状態のものを新型コロナウイルス用に改変した上でデータ入力できる態勢がとられているべきだったのです。あれこれ議論を重ねていると実現がどんどん遅れていくわけです。普段からこうしたシステム化をしておくことが今後の非常に大きな課題です。

針原:大江先生が普段から整備に携わっているデータ収集システムは、大学や病院単位などで構築されているもので、現状では統一化されていないということが背景にあるでしょうか。

大江:今回の感染症について言うと、ほとんど電子カルテから自動的に転記できる種類のデータがありませんでした。どのような症状が出るのか見えていない中、医師は手探りの状態でカルテに書いていましたので、必要な情報を早い段階で一律に決めて集めることは非常に難しかったと思います。
今ではだいぶ新型コロナに関する情報がわかってきましたので、集めるべきデータもある程度わかってきました。今後は、日常診療で使っている電子カルテやレセプトのシステムから、いかに効率よく持続的に集め続けるかということがテーマになってきます。

針原:この点について海外における状況はどうでしょうか。

大江:ヨーロッパを中心に、ある一定基準で新型コロナの感染者の情報をデータベースにしてそれを集積して解析しようという動きが構築されています。ヨーロッパはEUとして一つのまとまりで多くのことを決められる体制ができていますから、かなり早い段階でWHOと一緒に、共通のレジストリーシステムによってデータ収集が行われています。

コロナ禍におけるデータ収集のアイデア

針原:コロナ禍におけるデータ収集のアイデア等はございますか。

大江:この機会に大多数の医療機関がレセプトデータや関連する電子カルテデータを出せるようにして、1ヶ所で解析できるようにすることが大事だと思います。今後も冬場になると他の感染症と一緒に発生する患者も増えてきますので、レセプトデータの活用が効果的になってくると思います。

また、国や自治体に頼った情報収集の仕組みだけではなくて、個人がデータを登録する仕組みを根づかせるために、登録したら何らかのメリットがある仕組みをつくりだすことも必要かと思います。今だとスマートフォンの普及率が高いですから、アプリを使って入力すればポイント還元なりができる形のものを構築することができるのではないかと思います。

針原:面白いですね。これまでデータは上から取るものでしたが、ユーザー側からもデータドリブンの時代になってきている。こういう制度設計に関わるのはどういう研究分野でしょうか。

大江:あいにくそうした領域が存在しないのだと思います。
長年医療情報学に携わってきて、公的な研究班に入り活動して政策的提言もしてきましたが、患者を直接診療する医療でもなく、情報化政策そのものとも言えないこうした学際的な領域で活躍できる人材を育てることが、今後重要になってくるのだと思います。

遠隔診療について

針原:コロナ禍において遠隔診療が導入されていますが、従来、医師は肉眼で見て、患者さんの体の様子を見るものだという考え方もあったと思います。遠隔診療で実際に医療が成り立っているのか、もしくは何か別なかたちでサポートしているから成り立っているのか、そのあたりの見解をお聞かせください。

大江:普段コミュニケーションの実績のない初診の患者さんを遠隔診療で行うのは非常に難しいです。誤診の可能性もありますので、医師もリスクを感じると思います。
診たいところを診られないとか、顔の表情がわからないとかありますが、影響が大きいのは遠隔診療時の患者さん側の照明の問題です。患者さんにどういう光が当たっているかがわからない状況というのは、実際の顔色がわからないですから。また足を見たいとか、腕のむくみがあるか見たいとか、背中を見たいとか、お腹を見たいとか、診察中にいろんな必要性がある場合には限界があるので、やはり初診は避けたいですね。
評価されているのは十分安定期にある生活習慣病、例えば糖尿病だとか、治療を受けていて方針も決まっている患者さんを遠隔診療すること。これはどの医師も対応しやすく患者さんにとってもメリットが大きいと思います。従って病状に応じ使い分けが必要かと思います。
家庭の中で表情を読み取るもっと高度なシステムとか、触診の代わりになるような、たとえば何かを当てれば首のかたさがわかるとか、そうしたようなセンサー系がもっとできてくれば別ですが、現時点では状況に応じて対面診療と遠隔診療を上手に使い分けないといけないと思います。

学生のオンライン授業とメンタルヘルス

針原:大江先生は東京大学で大学院生の授業を担当されていらっしゃいますが、オンライン授業の運営に関する問題点などお聞かせくださいますか。

大江:大学院生は皆Zoom(Web会議システムのひとつ)で出席していますが、顔を出さなくてもよいことから、これまでのようなコミュニケーションをとることが難しいです。足りない部分はメールでの連絡でカバーしたりしています。本来、ZoomにしてもWebExにしても今のオンラインシステムは、普段から関わりのある者同士でオンライン会議をするためのシステムに過ぎないのです。相手の1人1人の顔や表情がよく見えないし、しゃべろうとしている人を察知することもできないので、やはり新しいスタイルのオンラインコミュニケーションシステムが欲しいなと思います。
いつの時代も、人は集団の中で対面のやりとりをすることで、心を落ち着かせ、自分の考えていることや思っていることを表現し、時に喜怒哀楽を表すことで成長してきたのだと思います。大学でも、そうした経験をすることで、良い案を思いつくことがあったり、自分の知らなかった出来事を小耳に挟むようなことがあったりするのだと思います。これは大学以外の環境でも同様でしょう。残念ながらこのあたりが今のオンライン会議システムでは難しいと思います。
いわゆる井戸端会議のような目的なくコミュニケーションをとれる空間を維持していくことも大事ですね。卒業した後、何年も残るものは何かと考えると、もちろん学習内容もそうかもしれませんが、財産として残るものは、時間や空間を共有したことによってできる人脈です。そうした部分が、今のオンライン授業だけでは希薄になってしまいそうでとても心配です。

針原:現代の若者がLINEなどのSNSで繋がっていられたことは、それがない時期に今の状況になってしまった時の悲惨さを考えると、だいぶよかったと思います。

大江:またメンタルヘルスを維持するには、身体を動かさないと駄目だと思います。外の空気を吸ったり、意味もなく街の中を歩いたり散歩したり運動したりと。いくらバーチャルなシステムが社会を支える時代になったとしてもその部分は必須だろうと思います。

針原:武蔵大学では、何とか一部対面授業やオリエンテーションを開催しようという動きがあります。

大江:そうですね。工夫して距離をうまくとって、対面授業をしていかねばならないと思います。

針原:一方で遠隔授業もデメリットばかりではなくて、工夫された授業においては、従来の対面授業よりも復習がしやすい、質問がしやすいといった意見を聞くこともあります。

大江:今回のことで、メリット、デメリットをうまく判断して、上手く組み合わせていく方向になっていくのではないでしょうか。

人文社会科学系大学におけるデータサイエンス

針原:武蔵大学のような人文社会科学系の大学におけるデータサイエンスの教育についてご意見をお聞かせいただけますでしょうか。

大江:データサイエンスというのは単に集められた綺麗なデータをどう解析するか、といった話ではなく、必要とするデータをどう集めるか、どうしたら、統合的に価値のあるデータにできるかということが大事で、そのために社会制度、個人情報保護、倫理、国民性などを総合的に理解した上で、データを作り上げる必要があります。
それがわかっていないと、与えられたデータがどういうバックグラウンドで集められたもので、どんなバイアス(偏り)が潜んでいるのか、というのが理解できないと思います。
そうした意味では、データサイエンスというのは人文社会科学系の学問と言ってよいかと思います。

何か分析しようとした時に、そこに潜んでいるバイアスだとかクセだとかそういったものもきちんと理解した上で、どういう解析をしたら何が得られるのかをうまく導き出せる能力が必要です。
そうすると現場のことや社会のことを知ってないといけないので、データが生まれてくるところに関心を持つ人が大事だと思いますね。

針原:コロナ対応で言うと、どのような能力が必要だと思われましたか。

大江:いくつかの観点があると思います。一つは、データから得るべきことは何であるかを分析する能力です。
例えば今回HER-SYSを開発する際にも、現場の、それを必要とする人からヒアリングを十分に行ったり、データを入力する人に現場の状況を詳しく聞いたりすることが大切でした。
もしそれができていたならば、少なくとも最初の時点で必ず入力しなければならないデータ、そうでないデータの整理ができていたと思います。

針原:データの流れや使い道を設計する力、また想像力が必要ということですね。

大江:まず何を知る必要があるかという目的から考え、そのためにはどんな分析手法を用いるか、そのために集めなくてはいけない最低限のデータは何か、と戻ってくる必要があります。

針原:それは社会学における社会調査と全く同じですね。

大江:全く同じだと思います。
ただ、医療の場合には、データ収集の現場が多職種により成り立っています。集めなくてはならないデータはどこで誰が入力し、所持しているかを把握していることが必要です。カルテにあるのか、レセプトにあるのか、手で入力する必要があるのか、医師しかわからないのか、など。

針原:制度や仕組みを超えていろいろ俯瞰する力が必要になりますね。

大江:そうですね。しかし、それは1人ではできないので、どの人に聞けばそれがわかるかを把握していることが大事なのです。普段から、あの人はこの専門家でこのことに詳しいとか、そういったことを把握して、そのリソースをうまく活用できるような能力も必要でしょう。

針原:大変ためになるご意見をありがとうございました。
武蔵大学でもそうした能力を身につけることができるようなカリキュラムを整備していきたいと思います。
本日は貴重なお話をありがとうございました。