新制武蔵高等学校中学校(1948-)
戦後の学制改革により、新制武蔵高等学校は1948(昭和23)年に開設、新制武蔵中学校は49年に発足した。旧制七年制高等学校の建学の理念を六年制の中学高校に受け継いでの再出発であった。
少数の選良校であった旧制高校との違いは歴然としてあったが、新制武蔵高等学校は、全国に数千誕生した高等学校のなかで埋没せぬよう、新たな時代の要請にこたえつつ理想の学校を目指して努力を重ねてきた。それは、旧制からの教授陣に気鋭の若き教員が加わり、武蔵の教育を形作るべく教師一人ひとりが自分なりのカリキュラムを作り上げ、お互い切磋琢磨することで学校としての独自の授業を形成してゆくという地味で時間のかかる作業であった。
そのようななかにあって1965年、学長兼校長として着任した正田健次郎が学園全体に活力を与える大方針「正田構想」を打ち出した。高校中学においても、社会的評価の高まりつつある状況下で、武蔵の進むべき道についてリーダーシップを発揮した校長の下、受験に傾かない教育本来のあるべき姿を追求し続けてきた。すなわち、教師集団は、一人ひとりの教師が授業の創造を軸に生徒と向き合い、個々の専門性を深めることと個性に基づく存在感を高めることに努力した。これにより、教師同士がお互いに学び成長しあう態度もまた醸成されていった。リベラルな議論の場としての教師会をはじめ、教員のみならず、生徒の関わる各種委員会においても自由闊達な議論の場が保障され、これが武蔵の活力の源ともなっていった。
少数の選良校であった旧制高校との違いは歴然としてあったが、新制武蔵高等学校は、全国に数千誕生した高等学校のなかで埋没せぬよう、新たな時代の要請にこたえつつ理想の学校を目指して努力を重ねてきた。それは、旧制からの教授陣に気鋭の若き教員が加わり、武蔵の教育を形作るべく教師一人ひとりが自分なりのカリキュラムを作り上げ、お互い切磋琢磨することで学校としての独自の授業を形成してゆくという地味で時間のかかる作業であった。
そのようななかにあって1965年、学長兼校長として着任した正田健次郎が学園全体に活力を与える大方針「正田構想」を打ち出した。高校中学においても、社会的評価の高まりつつある状況下で、武蔵の進むべき道についてリーダーシップを発揮した校長の下、受験に傾かない教育本来のあるべき姿を追求し続けてきた。すなわち、教師集団は、一人ひとりの教師が授業の創造を軸に生徒と向き合い、個々の専門性を深めることと個性に基づく存在感を高めることに努力した。これにより、教師同士がお互いに学び成長しあう態度もまた醸成されていった。リベラルな議論の場としての教師会をはじめ、教員のみならず、生徒の関わる各種委員会においても自由闊達な議論の場が保障され、これが武蔵の活力の源ともなっていった。
手作り教科書

昭和30年代に入り、新制高校・中学のあり方を見据えるなかで、教師の一人ひとりが自分なりのカリキュラムを作成し、各課で独自の教科書作りや授業素材の選択等地道な努力が重ねられていった。
施設の拡充
1972年の創立50周年を控え、記念事業として江古田、朝霞キャンパスの総合的な整備が決定した。まず、1969年3月に高校中学の新校舎が落成、旧高校・中学校舎は大学3号館となった。次いで、旧制以来の体育館・集会所・白雉寮(双桂・愛日の2寮)と戦後の錬心館剣道場が取り壊され、1971年その跡に新体育館とプールが建設された。同窓会と父兄会の一体となった募金によるもので、1970年4月寄付金目録が正田校長に贈呈された。
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1936年 -
2012年
学校生活
生徒国外研修制度

旧制時代の外遊制度は戦争により自然消滅していたが、卒業生平田篤信氏(17期理科)の寄付を契機として募金活動が進められ、1987年「生徒国外研修制度」が制定された。翌1988年3月、第1回の研修生たちがドイツ(2名)、フランス(2名)、中国(1名)に短期留学した。第3回からは英国イートン校との交流も始められた。
山上学校・ 海浜学校
青山寮は老朽化により1980年7月の山上学校を最後に閉鎖され、代わって同年12月第二代根津嘉一郎理事長の寄付により赤城山上、大沼畔に新寮が完成した。新寮は青山の号を残し、「赤木青山寮」と命名された。
鵜原寮も老朽化により立て替えられることになったが、折しも学校山林の檜が二度目の間伐時期にあったため、これを寮の用材に充て、新寮は1988年6月に竣工した。
鵜原寮も老朽化により立て替えられることになったが、折しも学校山林の檜が二度目の間伐時期にあったため、これを寮の用材に充て、新寮は1988年6月に竣工した。
新制高校年表
1949年 |
新制武蔵中学校の設置認可
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1950年 |
新制武蔵高等学校第一回卒業式
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1951年 |
高校寮(武蔵寮)を開設 ~1968年まで
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1953年 |
標準服を定める
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1954年 |
高校中学として独自の記念祭を開催
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1957年 |
強歩大会を始める
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1965年 |
高等学校4学級となる
保護者糧音の連絡のための小冊子「大欅」を刊行 |
1969年 |
高校中学校舎落成 生徒集会所を開く
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1970年 |
体育館・プール竣工
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1979年 |
同窓会主催の第一回「ホームカミングデイ」開催
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1981年 |
赤城青山寮開寮
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1982年 |
研究室棟増築
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1988年 |
第1回国外研修生派遣
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1989年 |
イートン校との生徒交換開始 ~2009年まで
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1990年 |
イートン校日本語講座教員派遣 ~1999年まで
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1996年 |
新棟竣工
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1997年 |
中学一年4学級となる
第1回「母校お花見の会」開催 |
2000年 |
高校入試廃止
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2001年 |
全教室にエアコン設置
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2004年 |
高中図書館棟竣工
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2007年 |
グラウンド人工芝敷設
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