クスノキ (クスノキ科)

原産地は中国の江南地方ともいわれるが不明で、日本では本州以南の暖地に多く生えるが自生かどうかはわからない。中国名は樟で、楠はクスノキ科ではあるがさまざまな別種に用いられる。幹、根、葉から樟脳(防虫剤)を採ることができ、これを精製してカンフル(強心剤)が作られたが、近年は化学合成されるので薬用目的で栽培されることはなくなった。
葉は揉むと樟脳の匂いがし、中央に1本と左右に各1本、合計3本の葉脈が目立ち、その分岐点は表側から見ると膨らみ(図1)、裏側から見ると小さな孔がある(図2)。この中にある種のダニが棲んでいて、クスノキにとって有害な小動物や菌を退治する役をするという。
(図3)は5月ごろに咲き、小さくて淡黄緑色なので目立たない。果実(図4)は秋に熟し、径8mmほどの球形で黒紫色、中に1個の丸い種子がある。
クスノキには落枝という現象がみられる。落葉に際しては葉の付け根に離層という組織ができてこれが葉と茎との間の物流を遮断し、やがてここを境目にして葉が落ちるのだが、クスノキでは若葉が開いて間もないころに太さ1cmほどになった枝のつけ根に離層ができて、落葉と落枝が同時に起こる。
構内には大きなクスノキが2株ある。一方は学園記念室に保存されている写真に植えられて間もない若木として写っていて、裏面に矢代書記(後の高中事務長)の筆跡で「昭和10年?[楠]植樹九州より移植(三上教授斡旋)」と書かれている。この若木の位置は、大学10号館と濯川との間にある大木と一致する。今では幹回り約3.6mになっている。
もう一方は、旧制時代に尋常科の寮であった愼獨寮(1945年4月13日の空襲で焼失)の炊事を担当した増田為三郎氏の子息で後に高中事務長となった愼一郎氏が遺されたメモによると、昭和5年ごろに英語の三上節造教授のお宅(学校の近く)から苗木をいただいて父子で担いで来たものである。プールの近くに植えてから2-3年後に芯が折れたがやがて2本に分かれて育ったという。昭和の時代に2回植えかえられ、現在は東門を入った正面に聳え(図5)、根際の近くで2本に分かれてそれぞれが周囲3.8mおよび2.7mの幹となっている。
そのほか構内各所に鳥によって散布されたと思われる若木が多数ある。

図1 クスノキ
図1 葉の表側。2013/01/23、武蔵学園

図2 クスノキ
図2 葉の裏側。2013/01/23、武蔵学園

図3 クスノキ
図3 花。1973/05/16、文京区本郷

図4 クスノキ
図4 果実。1974/11/28、文京区本郷

図5 クスノキ
図5 東門の近くの木。2010/10/27、武蔵学園
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