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今月の特集   代校長 山川黙

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東京帝国大学理科大学卒業。慶應義塾大学予科教授等を経て、武蔵高等学校教授。在任中、高山植物図鑑等を記し、生徒の教養に資した。また、1943年、二代、三代両校長の名をつけた山川賞、山本賞を制定した。日本山岳会の創始者七人の一人で、同会の機関紙「山岳」の初期のものには旧姓の河田名で多くの寄稿が見られる。略伝はこちらから。

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撮影時期不詳。
チョークケースを手に、授業へと向かう山川黙校長。
旧校舎(現大学三号館)で。
 

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昭和3年ごろの撮影と思われる。この頃は山川健次郎先生が校長であり、 山川黙先生(左端)は植物および生物担当の教授であった。 一人おいて森五郎教授、右端が河内正大助手。

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1942年撮影。先生方の集合写真。 後列左から玉虫文一教授(生物)、森五郎教授(独語)、塚本常雄教授(地理)、鎌田都助教授(数学)、内田泉之助教授(漢文) 前列左が山本良吉校長、右が山川黙教授(植物)である。

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撮影時期不詳。数学、自然科学を担当する教員の集合写真。 左より三石巌専任講師(数学、物理)、藤村信次教授(物理)、都築洋次郎教授(化学)、和田八重造専任講師(生物)、 玉虫文一教授(化学)、右端で座り込んでいるのが山川黙教授。

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軽井沢青山寮の賓寮前で。賓寮は1939年落成であることから、それ以後の写真である。 前列左より和田八重造専任講師、山川黙校長、小野赳教授、 後列左から平井卓郎教授、塚本常雄教授、紙田吉太郎教授。

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撮影時期不詳。前列に山川黙校長、玉虫文一教授、柳田友輔教授の姿がある。 旧校舎(現大学三号館)南側での撮影であり、背後に温室が写っている。

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1928年4月15日記念祭当日の写真。左窓際の人物が山川黙先生。 部屋中央には航空機用エンジンが展示されており、ほかにも電車模型、理科実験装置などの 展示が見て取れる。

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1933年撮影。記念植樹の際の山川黙教授。

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1943年、慎独寮書初会での様子。
左から内田泉之助教授、山川黙校長、小野赳教授。

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1930年、日光湯元で開催された山上学校の写真。9期生とともに写るのは 山川黙教授、和田八重造専任講師、小野寺寅次郎教授、山本良吉校長そして三和一夫教授。

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撮影時期不詳。濯川の川辺での写真。生物教師の先生、助手たちの集合写真であり、 Fauna, Florula 作成に協力したメンバーの可能性が高い。 Fauna Musashinensis は武蔵高校周辺の動物を、Florula Musashinoensis は植生をそれぞれ調査した著作であり、 写真中央の和田八重造専任講師らが中心となって作成した。 写真中央の和田講師の後ろに隠れるように立つのが山川黙校長。

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1934年10月10日、奥日光・戦場ヶ原での山川黙校長(前列右)。左は和田八重造専任講師。 後列三人は桑原 川田 福岡との記載がある。

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1943年。海浜学校での山川黙校長。裏面に「二六〇三年七月二十六日鵜原ニ於テ」と記載がある。

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1942年、海浜学校での山川黙校長。この写真は「武蔵学園70年史」に掲載されている。

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山川黙先生在職当時の鵜原寮。一番奥に見える建物は賓寮であるが、これは山川先生が別荘として 購入し武蔵高校に寄贈したものである。山本良吉校長はこれをたいへん喜び、「笑而軒」の名を贈った。名の由来である李李白の漢詩の一節、 「笑而不答(笑って答えず)」の形容は山川黙校長の温厚寡黙な人柄を大変よく表しているといわれる
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