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今月の特集 二代校長 山川健次郎

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会津出身。現在の斗南藩学で英学を学び、米国エール大学で土木工学を専攻・卒業。1881年東京帝国大学教授、1901年同大学総長、1904年貴族院議 員。九州帝国大学総長、京都帝国大学総長を歴任し、1915年男爵。1917年臨時教育会議委員、1923年枢密顧問官。
「古武士のような」とか 「最後の武人」等と呼ばれることも多かったが、東京帝国大学理学部物理学科の基礎を築く等、科学者として冷静な合理主義者であり、これをもって、白虎隊生 き残りの会津武士と、海外で開眼した合理精神に満ちた自然科学者とがある意味同居していたとも評される。略伝はこちらから

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撮影時期不詳。
旧制武蔵高等学校初代校長一木喜徳朗(左)
および二代校長山川健次郎(右)。
この写真は武蔵高等学校生物教室に
長らく保存されていたガラス乾板を
2013年に現像・電子化したもの。

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1926年4月、校長の交代式であいさつする山川健次郎校長。

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第1回卒業式で式辞を述べる山川健次郎校長。卒業式は当時「予餞会」とよばれており翌年から卒業式となった。壇上前列に山本良吉教頭。左端は第1回卒業生北博正氏の父、北豊吉氏。撮影は1929年2月23日。

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斎藤素巌氏製作の山川健次郎校長寿像。1930年4月6日、山川校長の喜寿を祝って教職員・生徒・卒業生合同で贈呈したもの。
山川健重氏所蔵。

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1930年12月20日
「愛日寮」「双桂寮」に山川健次郎校長から寮名の額が寄贈された。
大講堂にて。

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明治23年撮影。
最後列右から二人目が山川健次郎。最前列右端・長岡半太郎、2列目左端・北条時敬、その右・菊池大麓らとの集合写真。
各氏の詳細は
こちら

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山川校長の1930年卒業式での佩章授与訓示。
「昔武士は大小二タ腰を佩びて居り之を武士の魂と云ったものだ 此の大小は之を佩びて居る人に君は武士という特権階級の人であるから卑怯な事等凡て 武士にあるまじき振舞いがあってはならんと常に警告したかの如くであったので 武士が己が佩び居る両刀を見ると心がひきしまり体(ママ)度を謹む念慮が起こり当人が どのくらい利益を得たか知れん 魂は今の辞で云ふと良心で大小が良心を呼び起こす如き 働きをしたのであった。 我が校の佩章も亦佩章する人々に本校の一員たることを警告すること武士の両刀と異なることが ないから本日佩章を授与された人々は今後一層言動を謹み利益をえらるること必然と信ずる」

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大正3年8月22日に大正天皇へ献納した書の下書き。 「視民如傷 臣山川健次郎謹書」一軸(縦128cm×横41cm)
読み下しは「民をみること傷つくがごとし」で、人民が傷ついたものを見るように深く民をあはれみ愛すること、の意である。 左氏「哀」、「元」 また孟子「離婁下」にあることばである。

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山川健次郎校長の書簡。これは長崎太郎教授が武蔵高校の賛歌を作詞し、山川校長に書き送った折の返信である。
「御書面忝令披見候拙生病気御心に掛けさせられ候段奉深謝候軽病には候へ共少し許の発熱有之又 食欲も頗る減退いたし候間医師の勧めにより静養いたし居候御歌拝見仕候結構なる御詠と存候  昭和二年三月四日 健次郎 長崎盟兄 侍史中」

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山川校長の米国遊学漫談。 米国への船中でカレーライスを食したと記載されており、 これが日本人で初めてカレーライスを食べた記録であるとされている。 昭和4年11月16日に東野清之が速記したものに山川校長が校正したもの。
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