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写真館バックナンバー2015年8-9月

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今月の特集   旧制武蔵高等学校時代の学校施設
  武蔵学園は来る2022年に創立百周年を迎えます。旧制高等学校、新制大学、新制高等学校・中学校と学園が成長発展するなかで、校舎をはじめとする学校施設も大きくかわりました。今回は創立期、初期の学校施設の写真を紹介いたします。戦火による焼失、老朽化による建て替えなどで、現存しない施設も登場します。

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1922年10月17日撮影。建築中の旧武蔵高等学校校舎(現大学3号館)。 1923年4月27日に第1期工事分(校舎北側)が竣工したが、同年9月1日に関東大震災に遭い、時計塔を支える柱が重量により座屈、1階右奥の壁にひびが入った。その後、空襲、さらには2011年の東日本大震災という3度の大きな試練をこえて現存するコンクリート製の建物は希少だ。

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同じく1922年10月、南側からの撮影。工事進捗の早さをよく表している。鉄筋はカーン・バーというアメリカの技術で、同時代の旧帝国ホテル、立教大学などにも用いられた。1981年の調査報告には「コンクリートが思いのほか硬くうたれていた」とあり、その堅牢さが100年近い時の流れに耐えさせた。

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1928年、旧校舎完工直後、東側からの撮影。 中央時計塔の東西南北四方向に時計を置くためのくぼみがあるが、北側以外に時計が設置されたことは今までに無い。

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1928年撮影。旧校舎と竣工直後の大講堂。校舎外壁の柱角の凹凸と最上部の鋸歯の幾何学的装飾は初期モダニズムの特徴。1925年、パリでの「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」以降はアール・デコとよばれた。一方、時計塔は伝統的な様式建築の名残で、正面性、視線を集めるアイコンとしての役割をもつ。

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1928年、校舎南側からの撮影。金工木工室(手前左)、化学教室(手前右)、旧校舎(現大学3号館)の配置が よく分かる写真である。

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撮影時期不明。旧校舎(現大学3号館)内部の写真。今夏の補修でユニバーサル・デザイン化推進のためエレベーターが設置される。

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1927年、竣工間近の大講堂。西側(大講堂裏手)からの撮影。大講堂は創立者根津海嘉一郎の寄贈。設計は早稲田大学建築科の創設メンバーである佐藤攻一教授である。

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1928年、竣工時の大講堂。東側正面入口からの撮影である。

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1928年撮影、竣工時の大講堂。4月15日の開校式当日の写真であろうと推測されている。開校式は創立から6年後、尋常科・高等科全学年がそろい、学内各施設がほぼ完成したこの年に行われ、時の内閣総理大臣田中義一も臨席した。「武蔵賛歌」が公式に歌われたのもこの式であった。

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1930年撮影の大講堂。

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竣工時の大講堂内部。当時は1階後方に扉があり前室がつくられていた。入場者は左右の入口から前室に一度留まることで、大講堂内の空間がよりスケールをもって感じられる構造になっていた。この前室は2011年の大改修の際、客席数を増やすためにとりはらわれている。

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1935年5月撮影、大講堂とその周辺。右側に大講堂が、左側に手前から購買部、便所、奥に生徒集会所が写っている。

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1933年撮影、大講堂とその周辺。左側手前に購買部、小使室(当時の名称)が写っている。

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1928年、開校式のころの旧校舎(現大学3三号館)。千川通りをはさんだ反対側からの撮影で、 塀も完成していることが見て取れる。

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1935年撮の旧校舎(現大学3号館)。

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撮影時期不詳、旧生徒集会所。生徒集会所は昭和2年10月に完成。職員と生徒、また生徒どうしが公式、非公式に親しく話し合う場とされた。混雑する昼食時には生徒のなかから委員と当番を定めて事務にあたったと『10年史』にある。当初は紅茶、ケーキ、トーストが提供されたが、後にはカレーライス、うどんなども登場した。委員によって食券の自販機も考案された。

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1930年撮影、旧生徒集会所の写真。濯川のほとりの緑深い場所に建てられた。生徒集会所は高中新校舎建設時に南門近くに新築され、さらに現在では3代目の集会所が同位置にできた図書館棟の1階におかれている。
 

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撮影時期不詳、旧生徒集会所へのエントランス。裏に「川**(二文字不明)6.11.13」とあり、 昭和6年11月13日撮影の写真である可能性がある。生徒集会所へは旧校舎(現大学3号館)から大講堂を右手にみながらおよそ3分。集会所手前は写真のようにゆるやかな登り坂になっていて、空腹の生徒たちにはなかなかこたえたようだ。

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1932年2月17日撮影。航空写真による江古田校地全景。 所沢の陸軍飛行隊に依頼したもので午前10時の撮影と注釈がある。 中央コの字型が旧校舎(現大学3号館)、その左側 H 字型が慎独寮とプール、校舎右に大講堂、 400mトラックと旧体育館。 このトラックは濯川工事のために短くなってしまい(約385m)、それを知らずに競技をした陸上部員が 「タイムがよくなった」と錯覚したという逸話が残っている。

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撮影時期不詳、南側から見た校舎の。中央の煙突は1934年2月22日に強風で倒壊したため、 それ以前の写真であると推測できる。

 

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撮影時期不詳、これも南側から見た校舎。1932年3月31日竣工の購買部が写っている。 また上述の煙突も写っているため撮影時期はある程度推測できる。

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1938年4月撮影、集会所新館。この前年に父兄会(当時の呼称)によって寄贈された。

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撮影時期不詳、外人舎宅(外国人教師住宅)。恐らく1934年竣工時の撮影と思われる。

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1923年撮影、愼獨寮の写真。旧校舎(現大学3号館)竣工までは仮校舎としても利用された。

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愼獨寮木彫額の写真はがき。欄外に 「九六年愼獨寮十四周年記念絵葉書 木彫額 山川前校長寄贈の額。 板材は欅、文字は顔真卿の書、前田順二氏の彫刻。八八年六月一日校長臨席の下に掲ぐ」とある。

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撮影時期不詳、雪の愼獨寮。

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1935年撮影、愼獨寮の正面入口付近。この10年後、1945年4月13日の空襲で焼失。

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撮影時期不詳、愼獨寮の内部。「慎獨」の木彫額が掲げられている。この写真は「武蔵学園70年史」にも掲載されている。

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1927年撮影、双桂寮(右)および愛日寮(左)

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1928年撮影、旧体育館竣工時の写真。

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撮影時期不明、旧体育館内部の写真。

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1927年撮影、錬心館竣工時の写真。錬心館は剣道場として建てられた。1945年4月13日の空襲で焼失。

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1942年6月撮影、錬心館内部の写真。

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1931年撮影、弓道場の写真。プールの位置から講堂西側に移転したときのもの。1945年4月13日の空襲で焼失。

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撮影時期不詳、購買部の写真。購買部の新館は1932年3月末に大講堂の南に独立して竣工した。
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