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今月の特集   旧制武蔵高等学校の日々 3 校友会活動
――校友会活動に関する写真はすでに何点か紹介していますが、新たにまとめて(一部、既出と重複)掲載いたします。武蔵高校の校友会は1924年12月に発足。当初は総務、文芸、科学、運動の四部よりなり、 それらの中に「部門」としていわゆる部活動である籠球、蹴球、弁論、気象などがありました。大きな特徴として当時から人気があった野球が無いことが挙げられますが、 これは山本良吉教頭の意向によるもので、武蔵高校に野球部が誕生したのは昭和24年6月になります。
※旧制時代のすべての校友会活動をご紹介していないことをご了承ください。また、旧制・新制を問わず校友会関連の写真、ゆかりの品々のご寄贈をおまちしています。

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蹴球部――1931年11月撮影。旧体育館前でア式蹴球(サッカー)部の集合写真。 ユニフォームの武高の文字で旧制時代であることがわかる。蹴球部の略称 は"YKT" は、創設メンバーの山崎榮、菊池健一、高木(後に村井)茂雄の3氏の頭文字に由来する。ガラス乾板。

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蹴球部――1927年12月。インターハイ初出場前。中央は森五郎先生。  翌年正月のインターハイは初戦で敗退したが9年後の1937年に初優勝を達成。準決勝まで4戦無失点、決勝でも優勝候補早稲田高等学院を2:0で完封する快挙だった。

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蹴球部――1937年1月。京都でのインターハイ初優勝直後。中央左に杖をもつ長崎太郎先生。右に黒須金次郎先生。撮影日時は影の長さから、優勝当日の6日夕刻か翌7日朝と思われる。当時、長崎先生は京都帝国大学学生主事に就任されていた。

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蹴球部――1937年1月に本郷「江知勝」での インターハイ祝勝会。原田享一先生はじめ3期生から12期生までの集合写真。 後列に武蔵学園長を務める大田博太郎(4期)氏の姿も(中央やや右、和装の男性の向かって左)。
 

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篭球部――1929年8月。インターハイ初出場を記念して。 後列左から3人目が畑龍雄(3期)氏。畑氏は中心選手として活躍、卒業後は武蔵で数学の教鞭をとる傍ら篭球部コーチを務めた。また教頭在職中の1960年のローマ五輪に 国際審判員として出場した。

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篭球部――1933年撮影。6期生と7期生。このティームがインターハイ初優勝を成し遂げた。この後もインターハイでは1954年、1956年、1957年に優勝、1955年に準優勝と輝かしい成績を収めることになる。

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陸上競技部――開校後まもなくの運動大会で好成績を挙げた数名が放課後に練習を始めたのが陸上競技部の起源。1929年のインターハイ競歩で初の個人入賞者が生れたが、このときの小野勝次氏の記録は日本記録を上回っていた。1932年撮影。

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陸上競技部――跳躍しているのは前出の1929年インターハイ競歩で入賞した小野勝次(2期)氏。1930年前後の撮影と推測される。校庭にて。

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陸上競技部――コーチはなく、各人が外国の専門書などで研究を重ねた。インターハイでは1939年に初のティーム得点を獲得。翌年の神宮での大会では200m低障害、100m、200mで優勝、高障害、800mも好成績でトラック部門3位入賞を果たした。写真は同大会で。

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弓道部――1930年に弓道が尋常科正科となったのを契機に次第に部としてまとまっていった。翌年から毎年インターハイには出場したが初優勝は出場10回目の1940年の大会。写真は弓道場の道場開きでの本多流二世宗家本多利時氏による礼射。1937年撮影。

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弓道部――1927年~47年の弓道場。弓道部には部員制度がなく、他の部とかけもちする者も多かった。主将を置くこともあまりなく、日常の練習者のなかで状態のよい者を試合の選手としていたという。

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弓道部――部員制なし主将なしという特殊な形態ながらも、練習量は他の運動系部員たちが驚くほどの激しさだった。部というより求道、人格形成と考えていた者が多かった。1935年撮影。寒稽古の日に暖をとる弓道部員。

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弓道部――1940年7月、 インターハイ初優勝を勝ちとる。その記念の部員集合写真。中央に森五郎先生の姿が見える。

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剣道部――部発足は1928年だが、それ以前からの同好会「無名会」が礎である。撮影時期は不明だが、場所が1927年に落成した旧錬心館であるところから、すでに部として活動しているときのものと思われる。その後1945年4月、空襲でこの錬心館は全焼する。

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剣道部――1940年7月23日。インターハイ優勝。富山、浪速、八高を撃破し決勝では無敵といわれた七高を逆二刀の高橋主将が大将戦で破った。旧制インターハイ剣道でナンバー校以外の全国制覇は松山と武蔵のみ。優勝旗が箱根を越えたのも武蔵が初だった。

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水泳部――1929年の尋常科2年の海浜学校以後、有志が石神井のプールに通うようになった。その中心メンバーが父兄会や学校にはたらきかけ、1930年9月、プールが竣工し水泳部が誕生した。写真は1942年。このプールは1995年に取り壊され、 跡地には大学六号館と七号館が建てられている。

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水泳部――1931年9月撮影。父兄会よりプールが寄贈され、大講堂で記念式典が執り行われた直後のプール開き。縦25メートル、横10メートル。2基の飛び込み台直下の水深は3.36メートルあった。現在の高中プールは体育館横に新設されている。

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山岳部――発足は1927年。当時の学校山岳部はアルピニズム高揚期にあったが、武蔵山岳部は夏山縦走に重点を置き、一般生徒の登山も支援していた。当初よりスキーにも取り組み、1930年の新潟県燕温泉での合宿が今も続くスキー教室のおこりとなった。 写真は1935年、初代集会所前で。中央は主理(顧問)の佐藤新一先生。

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音楽部――創立後まもない1925年、有志によって「武蔵フィルハーモニック協会」の名で管弦楽の練習がなされたのが音楽部の始まりである。 写真は1928年、大講堂で武蔵賛歌を演奏した際のもの。指揮は林良輝先生。 写真は野辺地東洋(3期)氏の寄贈。

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音楽部――1940年12月、大講堂での演奏会。この前年に謡曲の行雲会も合併、洋楽・邦楽あわせた音楽部となり、合唱も加わった。しばらく途絶えていた管弦楽団も再編成され写真の演奏会に参加した。曲目はベートーベンの交響曲第1番第2楽章だった。

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図書部――図書室の図書の購入、貸し出しなどの業務のため各学年から委員を選出して構成されたのが図書部である。 毎年の開校記念日には貴重な書籍、書簡などの展示を行ったりした。写真は1928年撮影。

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形象部――形象とは絵画、写真、彫刻などの総称であり、あまり人口に膾炙していないが 山本良吉校長が命名者とされている。部活動としては前述の芸術各分野に関して幅広く活動した。 写真は1936年、図画の金子保先生をアトリエに訪問した部員たち。

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民族文化部――写真は1929年。記念祭における展示と推測される。石山乾二先生、原田享一先生、粟田賢三先生、磯野誠一(3期)、川村喜久治(2期)の各氏が写っている。

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民族文化部――撮影時期不詳。発足時の名称は文化学部。歴史同好会として史跡見学や発掘をしていた生徒たちが校友会に部として所属したいと申請。最も苦労したのは山本良吉教頭の説得だったが、熱心さに根負けされた教頭は「自然科学に対して文化科学という意味で文化学部がいいだろうと」と命名された。

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民族文化部――1940年、日光へ部の旅行。15期~17期の生徒と石山乾二先生。 左端は大坪秀二元校長。大坪元校長は山岳部や太陽観測部、気象部などにも参加されていたが、こうした複数の部をまたいで幅広く活動する生徒は少なくなかった。
 

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民族文化部――1943年、奈良へ見学旅行に赴いた際の集合写真。猿沢の池で。後方には興福寺の五重塔が見える。

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気象部――1927年10月28日に山川黙教授指導の下、観測会の編成を議したのが武蔵の気象観測の始まりである。 写真は1936年の撮影。当時露場は旧校舎(現大学三号館)東側にあった。

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気象部――撮影時期不詳。1942年1月、気象庁東京管区気象台中新井観測所として位置づけられ、部員によって毎日観測された記録は中央気象台に送られた。観測は営々と続けられ、77年からはロボット化されアメダス練馬観測所となって自動計測されるようになったが、東京・練馬の天候は武蔵から70年に亘って発信されてきた。しかし近年、住宅密集化、学園内の建物の増加などから正確なデータが得にくくなり、学園東門付近にあった観測設備は2012年末に石神井公園北側に移転した。

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撮影時期不詳。厳冬期の徹宵観測。明け方、気温計測をする気象部員。

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太陽観測部――1929年、小林春雄(4期)氏が掲示板に「本日夜間観測す。奮って来られよ」と掲げたのが 科学部の天体観測の萌芽にして太陽観測部の始まりだという。 写真は1930年、中庭で。2010年6月、60億キロ7年の旅を経て小惑星イトカワからサンプルを持ち帰った探査機「はやぶさ」のイオンエンジン開発者、國仲均教授(53期)は同部OB。
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