トップ
TOP

トップ 武蔵学園のあゆみ 武蔵学園記念室 記念室書庫 写真館prof.

◇長岡半太郎(ながおか・はんたろう 1865-1950)――物理学者。土星型原子モデルの提唱者として名高い。大村藩(現在の長崎県)出身。明治15年(1882)、東京大学理学部(1886年に帝国大学、1897年に東京帝国大学と改名)入学。物理学科に進み山川健次郎のもとで学ぶ。大学院を経てドイツ留学、帰国後は帝国大学教授に就任し60歳で退官するまで、本多光太郎、寺田虎彦、仁科芳雄など多くの弟子たちを育てた。その後も理化学研究所主任研究員として研究を続けながら、初代大阪帝国大学総長、貴族院議員、日本学術振興会理事長、帝国学士院院長などの要職を歴任した。85歳で世を去る当日も物理学の勉強をしていたという。
◇北条時敬(ほうじょう・ときゆき 1858-1929)――教育者・数学者。加賀国金沢(現在の金沢市)に藩士の家に生まれる。明治18年(1885)東京大学理学部数学科を卒業し、石川県専門学校(後の第四高等学校)の教師となる。学生には西田幾多郎、鈴木大拙、山本良吉(旧制武蔵高等学校第3代校長)らがいた。その後は帝国大学大学院を経て、第一高等中学校教諭、山口高等学校教頭、同校校長、第四高等学校校長、広島高等師範学校初代校長を歴任、さらに大正年間には東北帝国大学総長、学習院長に就任、宮中顧問官、貴族院議員にも選出された。また、明治41年(1908)にロンドンで開催された万国道徳教育会議に日本代表として参加、その際にイギリスのボーイスカウト活動の資料をもちかえり、日本に紹介した。
◇菊池大麓(きくち・だいろく 1855-1917)――数学者・政治家。近代数学を初めて日本にもたらした人物。江戸に生まれ。慶応3年(1867)と明治3年(1870)の二度、英国に留学、ケンブリッジ大学で数学と物理学学位を取得、帰国後の明治10年(1877)、東京大学理学部教授(東京帝国大学の名称は1886年より)となる。同大学総長、学習院長、京都帝国大学総長、理化学研究所初代所長等を歴任し、明治6年(1873年)には福澤諭吉に招待され明六社に参加。その後の交詢社にも参加した。明治22年(1889)、東京学士会院会員、帝国学士院会員及び同第8代院長にも任じられた。また政治の面でも活躍し貴族院勅選議員、文部次官、文部大臣、枢密顧問官等を歴任した。なお、東京都知事となった美濃部亮吉は孫にあたる。また、英国留学中にラグビーの試合に出場したという記録があり、日本人初のラガーマンといわれている。
to-top